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他人の目にも楽しく

今日のおすすめの一冊は、梶原一明氏の『本田宗一郎 「逆境」を生き抜く力』(KKロングセラーズ)です。その中から「働く人間ほど遊びを大切にする」という題でブログを書きました。

本書の中に「他人の目にも楽しく」という本田宗一郎さんの心に響く言葉がありました。

「幸福というものについて、これだといい切れる考えはまだ私も持っていないが、私は『会社での仕事も楽しく、家庭での生活も楽しい、つまり1日24時間を楽しく過ごすこと』が幸福だと思っている。言葉はすこぶる平凡だが、この内容は非凡だと自負している。それと、自分の幸福な状態が『他人の目にも楽しく、心も楽しませる』ものでありたいとも私は思う」
「これは快楽主義者というわけじゃないぞ。でもほんとうは遊ぶのはおもしれえから、半分以上は快楽主義者かも知れない。後の半分がそうじゃないのは、女房が恐ろしいからブレーキをかけられているせいかも知れねえな」(本田宗一郎)
本田宗一郎は思いのほか、家庭を大事にする。恐妻家ぶるのは有名な話だが、ことさら恐妻家を強調するのは、多分に亭主関白を“逆説”的に自白しているようなものだ。が、本田にいわせれば、ときに亭主関白、ときに女房の尻に敷かれるという夫婦関係がもっとも自然なのだという。
つまり、“亭主関白の恐妻家”が健全な家庭を築く基本だというのである。これが本田宗一郎が家庭も楽しい、と断言する最大の理由だ。会社の仕事も本田宗一郎は同じ思想で貫いた。女房役の藤沢武夫に対して、自分の不得手なことはすべてまかせた。ときに本田技研は女房役の藤沢武夫副社長の“カカア天下”に思えたのである。
ところが研究、開発になると、本田宗一郎の亭主関白を藤沢武夫は存分に許した。こうなると、会社の仕事も、家庭と同じく、本田宗一郎にとって楽しいことになる。本田宗一郎に“悲壮感”ほど似合わない言葉ないといわれている。たしかに彼は本能的に“悲壮感”を漂わせることが嫌いなのだろう。それが本田宗一郎流の他人に対する“気くばり”といえる。
彼はいつも陽気なムードを求める。しかし、それだけでは馴れ合いになり、厳しさに欠ける。そこで彼は爆発的な怒りをみせる。ただし、これも計算づくではない。少年時代の宗ちゃんが、真っ赤になって怒るのと、本質はいささかも変わっていないのである。
旧きよき時代の子供の特権は、なぐり合っても、すぐに仲直りができたことだ。ケンカしても互いに邪心が少なかったからだろう。だが、怒りがおさまると、怒られたほうが驚くほど本人はアッケラカンとしている。本田宗一郎のくったくない楽しそうなさまは、人の目にも楽しく、心を楽しませる結果になるのだ。

気は優しくて力持ち」という言葉があるが、昔からの男性の理想像の一つだ。桃太郎や、金太郎のように、おおらかでありながら力も強い、という「いざというときに頼りになる」イメージです。「亭主関白の恐妻家」というのも、まさにこの「気は優しくて力持ち」と似ているところがあります。

ただの亭主関白だったら、傍若無人なパワハラ男だが、同時に恐妻家というところに「やさしさ」や「気くばり」、「繊細さ」を感じさせるものがあるのです。そして同時に…《自分の幸福な状態が『他人の目にも楽しく、心も楽しませる』ものでありたい》上機嫌であるということです。「不機嫌は最大の悪徳である」と言ったのは詩人のゲーテですが、まさに不機嫌はまわりを暗く不幸にします。いつも上機嫌で…亭主関白の恐妻家な人には限りない魅力があります。

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