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完璧な美女は心に残らない

今日のおすすめの一冊は、黒川伊保子氏の『運がいいと言われる人の脳科学』(新潮文庫)です。その中から「漢語と大和ことば」という題でブログを書きました。

本書の中に「完璧な美女は心に残らない」という興味深い文章がありました。

格式ある式典での、偉い方がされる挨拶にも、ときどきしみじみ感動してしまう。全方位を傷つけないその挨拶は、びっくりするほど、まったく記憶に残らない。美しい日本語が並ぶのに、何の魔法だ? と思うくらいに、挨拶の数分がきれいに消えてしまうのである。

これにはこれで、意味がある。場の格式を伝える役割なので、偏った記憶を作ってはいけないのだろう。 

そういえば、昔、人工知能学会で、「絶世の美女を作る」という試みがあった。数多くの美女の顔を分析して、最高と思われるパーツと、その配置の黄金比を割り出して、CGで合成したのである。

この顔が、なぜか全然覚えられない。見ている間は「美しい」と思うのだが、スライドが変わったとたんに、さっきの画像が思いだせない。会場の参加者の多くが、同じ感想を口にしていた。 

完璧な美女は、心に残らない。完璧なことばも、心に残らない。どこか、バランスを欠いた、はっとするようなポイントがあって、表現というのは、初めて人の心を打つのかもしれない。

だからこそ、魅惑の表現には、悪辣な批判がもれなくついてくる。ビジネス提案も同様と見るべきだろう。拒絶や敵を作るのを恐れては、いい仕事はできないのに違いない。

◆いつも静かで、笑いもせず、悲しみもせず、喜びもしない、感情の起伏のないコンピュータのような人には魅力がない。魅力のある人は、喜ぶときも、悲しむときも、楽しむときも、目いっぱい感情を爆発させる人だ。

性格も同じで、見方によっては欠点に見えるものが、実は大きな魅力の源泉であることは多い。個性とは、ある意味、欠点のことでもある。完璧な美女が心に残らないのと同じで、すべてにわたって平均的な人、つまり欠点や短所もないような人は凸凹や引っかかりがなく、すぐに忘れ去られる。人間味や面白味に欠けるからだ。

「丸くとも 一かどあれや 人心 あまりまろきは ころびやすきぞ」
まさに、坂本龍馬の歌の通りだ。

完璧を目ざすのではなく、凸凹もある人間味豊かな人でありたい。

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