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忘却先生という先生の話

今日のおすすめの一冊は、渡部昇一氏の『「修養」のすすめ』(致知出版社)です。その中から「人間 この未知なるもの」という題でブログを書きました。

本書の中に「忘却先生という先生の話」という興味深い話がありました。

先生がお書きになったものの中に「忘却先生という先生の話」という逸話があります。昔、ある有名な漢学者がいました。この人は万巻の書を読み、知識も深く、記憶力もよく、皆に尊敬されていました。しかし、あまり人に教えようとしませんでした。
ところが、そのうち先生もやはり年を取り、だんだん呆けてきたのです。すると読んだ本も忘れ、考えたことも忘れ、最終的には知人の顔も忘れて亡くなりました。そこで、その人が学んだ学問とはいったい何だったのだろうか、と新渡戸先生は言います。
だから、通俗であろうが何であろうが、当時の職業として低いものの代表だった車引きの人でもわかる形で、今自分が考えていることや人生の話を、できるだけ多くの人に伝え、残していきたい。それ故に、通俗的といわれる多くの人が手にとる本に掲載したのです、とおっしゃっておられます。
こうして、周囲の非難にもかかわらず先生は、同様の本を何冊も書き、これが国民の共感を呼び、ベストセラーになりました。
新渡戸稲造先生は「武士道」で有名になりましたが、四十九歳の時に『修養』という本を書きました。当時新渡戸稲造先生はすでに日本を代表する学者でした。農学博士であり、法学博士、ドイツの哲学博士、そして京都帝国大学および東京帝国大学法学部教授です。
そんな偉い先生が、通俗的な雑誌を発行している出版社から『修養』を出したのです。当時、なぜ通俗的な話を書いたのか、囂々たる非難がありました。それに対して、先生は何故、そうした通俗的なものを書くのか、ということを書いたのがこの「忘却先生」の話です。

どんな立派な理論でも、役に立つ知識でも、それが外に発表されなければ、誰もそれを知ることはできません。つまり、アウトプットがいかに大事かということです。自分の頭だけに埋もれさせてはいけない、ということです。

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