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アル・カポネでさえ

今日のおすすめの一冊は、斎藤一人さんの『強運』(PHP研究所)です。その中から「モノを学ぶときは、もっと謙虚に」という題でブログを書きました。

斎藤一人さんは、成功した人や一流の人の本を批判するのはカッコ悪いといいます。それって、「オレのが偉いんだ」「そんなのより私がもっとすごい」って言ってるようなものだからです。これは、本だけでなく、一流のスポーツ選手や、経営者、政治家なども同じで、ケチョンケチョンにけなす人がいます。とくに匿名性の強いSNSではそれが顕著です。

それで、ジェフ・ケラーさんの「批判について」の言葉を思い出しました。

多くの人が成功への道の途中で挫折してしまう主な原因は、他人の意見に惑わされることです。他人の意見に耳を傾けることは大切ですが、批判や拒絶を恐れているかぎり、大きな業績をあげることはできません。人はみな、批判されると心が傷つきます。しかし、何をしても批判される可能性は常にあります。すべての人があなたの選択に賛成してくれるとはかぎらないからです。
どんなことをしても批判される可能性はあるのですから、批判への最善の対処法について考えたほうが得策です。多くの場合、批判は個人的な好みを反映したものにすぎないということを覚えておきましょう。実際、人々は「そういうやり方が気に入らない」という言い方をします。
批判を自分への個人攻撃と解釈してはいけません。人々は相手を批判するとき、相手の人格を否定しているのではなく、相手の意見や仕事ぶりが気に入らないことを指摘しているにすぎないからです。誰が何を言おうと自信を失う必要はありません。最終的に、他人の発言を気にするかどうかを決めるのは自分自身です。
「批判は学習のための貴重な教材である」という格言があります。まったくそのとおりです。批判されたときは、相手の発言の中から的確な指摘を探しましょう。批判には有益な情報が含まれていることがよくあります。あなたの課題は、それを見つけて有効に利用することです。また、一般に、辛辣な批判をする人は、精神的に不安定である場合が多いのです。そういう人は、他人を侮辱するような意地悪な発言を平気でする傾向があります。ターゲットを選んで、日ごろの欲求不満をぶちまけるのです。そういう人の言うことを真に受けて失望する必要はありません。(夢をつかむ方法/ディスカヴァー)より


我々はだれもが、人の批判に敏感です。人から好かれたいし、嫌われたくないですから。たいていの人は、常識や品性があるのでそんなことをしませんが、大衆の面前で、大きな声で罵ったり、罵詈雑言を浴びせたりする人がいます。これはSNSではもっとあからさまです。そして、批判されて傷つくのは多くは善人です。なぜなら、素直で、人のことを気にかける優しい人だからです。しかし、大きな声で批判する人は、たいてい悪人です(笑)。だから、自分では決して傷つきません。まわりや他人が悪いと思っているからです。

D・カーネギーのこんな言葉があります。

「おれは働き盛りの大半を、世のため人のためにつくしてきた。ところが、どうだ…おれの得たものは、冷たい世間の非難と、お尋ね者の烙印だけだ」と、嘆いたのは、かつて全米をふるえあがらせた暗黒街の王者アル・カポネである。カポネほどの極悪人でも、自分では悪人だと思っていなかった。それどころか、自分は慈善家だと大真面目で考えていた。…世間は、彼の善行を誤解しているのだというのである。
シンシン刑務所長から、興味ある話を聞かされた。およそ受刑者で自分自身のことを悪人だと考えている者は、ほとんどいないそうだ。自分は一般の善良な市民と少しも変わらないと思っており、あくまでも自分の行為を正しいと信じている。犯罪者は、たいてい、自分の悪事にもっともらしい理屈をつけて、それを正当化し、刑務所に入れられているのは実に不当だと思い込んでいるものなのである。
人間はたとえ自分がどんなに間違っていても決して自分が悪いとは思いたがらないものだ。だから、他人のあら捜しは、なんの役にも立たない。相手は、すぐさま防御体制をしいて、なんとか自分を正当化しようとするだろう。それに自尊心を傷つけられた相手は、結局、反抗心をおこすことになり、まこに危険である。
偉大な心理学者ハンス・セリエはこういう。「われわれは他人からの賞賛を強く望んでいる。そして、それと同じ強さで他人からの非難を恐れる」批判が呼びおこす怒りは、従業員や家族、友人の意欲をそぐだけで、批判の対象とした状態は少しも改善されない。(人を動かす/創元社)

批判ではなく、賞賛ですね。そして、他人から批判されたら、受け流す術を身につける必要があるんですよね。一生、修行です。

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