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ぶれない指針を持つ

今日のおすすめの一冊は、山口周氏の『思考のコンパス』(PHPビジネス新書)です。その中から本書と同名の「思考のコンパス」という題でブログを書きました。

本書の中に「ぶれない指針を持つ」という心に響く一節がありました。

私たち日本人は「普通」が大好きですが、仮想空間シフトによる反都市化が進む社会 では、「普通の働き方」というイメージは概念として霧消してしまうことになります。
日本では「普通であること」が過度に重視され、「普通でない」ことが批判の対象となりますが、なぜそういうことが起きるのかというと、「普通であれ」という脅迫に屈してワガママであることをあきらめてしまった人は、自分の個性を圧殺したという罪悪感から、脅迫に屈せずワガママであることを貫いて楽しく生きている人が許せないのです。
同じようにできなかった自分の情けなさ、不甲斐なさを見るたびに思い起こさせる存在だからこそ、「ワガママ」を押し通す人に愛憎の入り混じった複雑な感情......まさにコンプレックスを抱くわけです。
昨今、ニューノーマルなる言葉が人口に膾炙(かいしゃ)することが多くなりました。しかし、本当に「ニューノーマル=新しい普通」などというものがこの先立ち上がるのでしょうか。私はそうは思いません。私たちがこれから生きていくのは 「ノーマル=普通が溶解してしまった世界」なのです。
ではその世界の中で、何がその時々での局面において私たちの判断を支えるのでしょうか。 それが社会・組織・人に対する深いレベルでの洞察、本書の言葉でいうところのコンパスだろうと思います。
本書で私がインタビューさせていただいた人々のバックグラウンドは多様で、伺ったお話の内容に具体レベルでの共通性・一貫性は見られません。しかし、通読していただければ、お話に通底する深いレベルでの一貫性があることが感じられると思います。それは何かというと「ぶれない指針を持っている」ということです。
混迷の度合いが高まった時に求められるのが「指針」ですが、指針とはまさに「コンパスの針」を指すわけですよね。 これを別の角度から話せば教養に関わる問題とも言えます。どういう人が「教養のある人」なのか? 多くの分野にまたがる知識を蓄えているクイズ王のような人物が「教 養のある人」なのではありません。
そうではなく、「複雑で曖昧な状況において、その 人らしい決断ができること」を「教養がある」と言うのです。 本書でインタビューさせていただいた人々はそういった点で、現在の社会において最も教養のある人々だと感じています。

お釈迦さまが亡くなるとき、弟子のアーナンダが「師が亡くなったあと、これから我々は何を頼りに生きていけばいいのでしょう」と尋ねると、お釈迦さまは「自灯明(じとうみょう) 法灯明(ほうとうみょう)」といったそうです。これが、最後の教えだとされています。

「(私を頼るということではなく)自らを信じて生きていきなさい。自分をよりどころとしなさい」、と。お釈迦さまは、仏教の法は大事だが、その奴隷になってはいけないと遠まわしに示唆しています。

つまり、自ら指針とすべきコンパスは、自分が身につけた徳であり、教養であり、英知、しかないということです。ぶれない指針を持てる人でありたいものです。

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