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「孝」とは

今日のおすすめの一冊は、伊與田覺氏の『孝経 人生をひらく心得』(致知出版)です。その中から「教えとは実践を伴ってこそ生きる」という題でブログを書きました。

本書の中に『「孝」とは』という心に響く文章がありました。

戦前までの日本の教育あるいは思想の中心には「忠孝両全」という言葉がありました。「忠と孝」を大きな柱にするというわけです。ところが敗戦と同時に、GHQの指示によって、忠君愛国にかかわる言葉を教科書からとるように命じられました。

お年寄りの方はご記憶があるかもわかりません。修身などの教科書の中にそういう言葉が出てくると、「ここは教えてはならん」と、墨を塗った時期がありました。そのときに勘違いしたのでしょう、「忠」がダメなら「孝」もダメだろうと勝手に考えてしまった。これがいまから60数年前の出来事です。

身体髪膚(はっぷ)、之(これ)を父母に受く、敢(あ)えて毀傷(きしょう)せざるは、孝(こう)の始めなり」「身体髪膚」の身体とは、頭、胴、足をいいます。髪膚というのは髪と皮膚でありますから、「身体髪膚」で体全体のことです。

この体はすべて親から受けたものである。だから、無茶をして傷つけたりしない。「毀傷」の毀は損なうこと、傷は傷つけること。これが「孝の始めなり」。親からもらった大事な体は授かりものであり、考えようによっては預かったものである。だからそれを傷付けない。これが孝行の始めだよ、といっているわけです。

孝行の終わりは両親の名が挙がっていくこと。「身を立て道を行い、名を後世(こうせい)に揚(あ)げ、以(もっ)て父母を顕(あらわ)すは、孝の終わりなり」。

世の中に出て、いろいろと実践躬行(きゅうこう)して名を後世に揚げた。立派な人格を築き上げ、完成をし、亡くなった後もその名が人の評判に上がる。また、自分の名だけではなく、そのうえに父や母の名も揚げる。これが孝行の終わりというものだ、といっています。

自分の名前が揚がるだけではまだ孝行ではない。それによって両親の名前が揚がっていく。これが孝行の極め付けであると孔子はいうわけです。孔子は何も自分の名前がそんなに後世に伝わり、かつ両親の名前が伝わるとは夢にも思わなかったかもわかりません。けれども現実にはこうなっているのです。

孔子という人は2500年後の今日にも名を揚げ、父母の名前を顕しているということであります。この『孝経』の教えからいうと、非常に立派な孝行息子であるということになりますね。

「孝経(こうきょう)」とは、孔子が弟子の曾子(そうし)に「孝」について話したものを曾子の門人が書き起こしたもの。

世界三大聖人と言われる、キリスト、仏陀、孔子、の三人に共通して言えることは、三人とも自分の著書がないこと。今残っている、聖書も、仏典も、論語も、すべてそれぞれの弟子が書いた。

「忠と孝」という言葉が死語のようになって久しい。しかし、親に孝養を尽くす、親孝行する、ということは、洋の東西を問わず昔から最も大切な価値観の一つだ。

「身体髪膚」を傷つけないこと。暴飲暴食をしたり、無茶なことをしたりして体を傷つけたり、病気をすることは親が一番心配することだからだ。

また、「螢(ほたる)の光(ひかり)」の中にある歌詞、「身を立て名を揚げ、やよ励(はげ)めよ」は、この「孝経」の言葉に基づく。身を立てるとは、修養を重ね立派な人間になることだが、それは同時に、親の名を高めることでなければならない、というのが本来の意味だ。今一度、孝行の大切さに気づきたい。

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