呑んだくれ大工とギブの精神
今日のおすすめの一冊は、安岡正篤師の『安岡正篤 人生信條』(致知出版社)です。素の中から「素心で生きる」という題でブログを書きました。
安岡正篤師の『活眼 活学』(PHP研究所)という本の中に、人情味のあるとても素敵な話があったのでシェアします。
大阪によく路地というのがある。 つまり裏長屋というやつだ。 そういうある裏長屋の行き止まりの所に、貧乏大工の呑んだくれがしけこんでおった。 これは非常に腕がいいんだけれども、何さま酒癖が悪い無精者で、朝から酒ばかり呑んで働かん。 そのためにだんだん人に見放されて、情けない路地奥の九尺二間にくすぶっておった。
それをもったいないというので、家主がある日、長屋を訪れたら、この大工、酔っ払っておって 「何しにきた。家賃の催促か」と、もう目に角を立てている。 「いや、今日は催促にきたんじゃないんだ」 「じゃあ、何しに来たんだ」 「まあそう言うな。いい相談があって来たんだ。 お前は元来非常にいい腕を持っておる」 「よけいなことを言うな」と一々からむ。
「わしがこれからお前に毎日一本ずつつけてやる。 お前の飲むに事欠かんようにしてやる。 家賃もまけてやる。 その代わりわしの言うことを聞かんか」 「それはなんだ」 「お前も一日そう只酒を食らっておっても面白くなかろう、 夕方になったら気持ちよく呑ませてやるから、朝起きたら道具をかついで、 この長屋中を一軒一軒尋ね歩いて、どこか板が外れておらんか、台所の流しが壊れておらんか、 戸ががたがたしておらんか、屋根が傷んでおらんか、床が抜けておらんかと聞いて歩いて、 悪い所を修繕してくれ。 もちろん料金をもらっちゃいかん。 その代わりわしが家賃をまけて、夕方になったら一本呑めるだけの手当てをやる」
「そんなことは何でもない」 「そんならやれ」 というので、奴さん早速やり出した。 するとたちまち長屋中のおかみさんやら親父やら、「野郎えらい感心だ。 おれの所へ来て台所を直してくれた。 床を直してくれた」という。 しかも礼を取らんものだから皆気の毒になって、何かお菜を持ってきたり、一本持ってきてくれる。 お八つになると何か出してくれる。
奴さん、家主からもらうばかりじゃなしに呑みきれんくらい酒が集まったり、食物も豊かになった。 家主のくれる手当てが残るようになった。 そうすると、いつの間にかそれが隣の路地にも聞こえ、向こう横丁にも聞こえて、 そんな腕のいい、気心のいい大工さんがおるなら、こっちにも来てもらえんか、 こっちにも来てもらえんかと引っぱりだこになって、そうすると張り合いがあるものだから、 先生あんまり酒も呑まんようになった。
あっちこっちで人気がいいものだから、すっかり気持をよくして精出した。 一人では足らんようになって、弟子が二人も三人もできるようになって、 そのうち堂々たる大工の棟梁になったという。
安岡正篤師といえば、中国古典の難しい話ばかりをされる方、というイメージが多いですが、こんな人情味あふれるお話もされています。この話は、商売の実例としても非常に興味深く、参考になります。これは、「まず先に与える」というギブ&ギブの精神の実例だと思います。
我々はとかく、先に損得を考えてしまいます。商売の本道は、先にギブすることなんですね。まず先に人に喜んでもらう。すると、その喜びが喜びをうみ、感謝となって帰ってくるわけです。
この大家さんはまさに仏陀の「対機説法」の実践をしたということです。「対機説法」とは、相手の能力や性格に応じて、それにふさわしい手段で説法をすることです。呑んだくれの怠け者に対して、理路整然と「働くことの大切さ」を諄々(じゅんじゅん)と説いたとしても、 「ハイわかりました」といって働く人はいません。まさに「人をみて法を説け」の実例ですね。
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