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運のいい人は敵のしあわせを祈る

今日のおすすめの一冊は、中野信子氏の『新版 科学がつきとめた「運のいい人」』(サンマーク出版)です。その中から「しあわせのものさし」という題でブログを書きました。

本書の中に「運のいい人は敵のしあわせを祈る」という心に響く文章がありました。

あなたには、ちょっと苦手だな、嫌いだな、と思う人はいませんか。 「そういう人のことは一切考えない」と決めてしまうのもひとつの方法ですが、苦手な人、嫌いな人というのは、案外頻繁に思い出してしまうものです。 

苦手な人や嫌いな人のことを考えているときには、脳にストレス物質であるコルチゾールが分泌されます。コルチゾールは生体に必須のホルモンで、分泌量が増えすぎると血圧や血糖値を上昇させたり、免疫機能を低下させたり、記憶や精神面にも影響を与えたりするなど、体によくない働きをするのです。 

しかし、一転、苦手な人や嫌いな人のしあわせを祈ることができたら、脳内には快感物質が分泌され、心と体によい影響を与えるのです。 といっても、そう簡単に気持ちの切り替えはできないかもしれません。

 私にもなぜか嫌な人のことばかり考えてしまうときがあります。そんなとき、私がヒントにしているのはお釈迦さまのダイバダッタに対する考え方です。 

ダイバダッタは、お釈迦さまの従兄弟にあたる人。優秀な人だったらしいのですが、 お釈迦さまへの嫉妬心が強く、何度もお釈迦さまを殺そうとしたそうです。 さらにダイバダッタは、お釈迦さまの弟子500人を引き連れて教団を離れ、自分の教団をつくってしまいます。 お釈迦さまにとってはまさに「敵」といえる存在だったでしょう。

しかしお釈迦さまは「ダイバダッタは私の過去世の先生だった。未来世では、天王如来という仏さまになる」と宣言していることが、法華経に記されています。 

また、チベットの自由と民主化のための運動を行っているダライ・ラマ法王(ダライ・ラマ十四世)は、チベットの人々と共に中国から厳しい弾圧を受けていますが、「中国人そのものに対する憎悪の念を抱くことはけっしてない」「敵は私たちの師であり、先生だといえます。敵はとてもありがたい存在なのです。人生の苦しい時期は、有益な経験を得て内面を強くする最高の機会です」「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」 (村上和雄/ソフトバンククリエイティブ)などと述べています。 

お釈迦さまやダライ・ラマ法王の境地に達するのはむずかしくても、その考えに近づくことはできます。 冷静に考えてみると、自分が苦手な人、嫌いな人というのは、反面教師になる場合も少なくありません。 

自分の中に、苦手な人、嫌いな人と同じ要素を見つける場合もあります。しかしそれは自分を正すチャンスとなる。まさに「先生」となるのです。 こう考えると、苦手な人、嫌いな人に対する見方や考え方が少し変わってはきませんか。 

もちろん、いきなり、無理やり嫌いな人のしあわせを祈る必要はありません。無理に祈っても、脳は「それは嘘でしょう?」と見抜きます。 しかし、少しずつ苦手な人、嫌いな人への見方を変える努力をしてみる。そうする ことで、脳の中もよい方向へ変わっていくはずです。

◆『ゴルフの 最終日のプレーオフで、相手がパットを外せば自分の優勝が決まる場面で、タイガー・ウッズは「入れ!」と念じた。 最高のパフォーマンスを出し切った相手に勝ってこそ、それが心からの喜びとなるからだ、という。 一流の選手は、相手の失敗を願うこと、あるいは呪うことは、結局は自分にそれが返ってくることを知っている。 競技相手は、配慮範囲で言えば、敵という自分から最も遠いところにいる人だ。 その相手の幸運を願うことこそ、これ以上ない大きな利他の心だ。』(脳科学からみた「祈り」/潮出版社)より

実際、自分の嫌いな人や、嫌な人の幸せを祈るのはかなり難易度が高い。しかし、もし、少しでもそんな気持を持つことができるなら(祈ってみようかなという気持だけでもいい)、それは大きな進歩だ。自分のイライラする元凶である嫌なヤツの幸せを祈るのだから、もっと身近な存在(家族や友人たち)の幸せを祈るのはたやすいことになる。祈りのハードルが一気に下がるということだ。

「運のいい人は敵のしあわせを祈る」という言葉を胸に刻みたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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