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二十代の顔より、六十代の顔がいい

今日のおすすめの一冊は、斎藤茂太氏の『「あなたに会うと元気になる」といわれる人』(新講社ワイド新書)です。その中から『本物の「すごい人」とは』という題でブログを書きました。

本書の中に「二十代の顔より、六十代の顔がいい」という心に響く文章がありました。

知り合いの女性が自分の母を嘆いた。 何かというと、 「どこそこへ行ったら、四十代といわれた」(本当は六十代です) と自慢するのだそうだ。 

「宇野千代さんみたいに死ぬまでお化粧して美しくという前向きなのはいいんだけど、母はそれだけ、何か知性がなくて軽薄にうつる」とグチッたので、吹き出してしまった。 

こんな話もある。母の実家に法事で一緒に帰ったときのこと。 母の兄が跡を継ぎ、そのお嫁さんは母と同じ年だ。 母は娘に、 「私と同じ年なのに、老けているわよね。何もかまわないで······ ああなりたくないわ」 と耳打ちする。 

娘は違った。 「いいなあ。いい顔しているな」と思ったのだ。 たしかに、太っている、髪は染めていない、しわも多い。 しかし、どこか惹きつけられる顔、威厳のある中にも優しさがある。 自信に満ちた六十代の顔である。 

なぜだろうかと考えた。 姑もいる農家に嫁いで苦労しただろうに······とも思うが、おそらく、彼女には食べ物を生産しているという自信と根を張った生活の知恵があるからだろう。 話を聞いていても飽くことがない。 うわついていない。 話していると安らぐ······こんな六十代になりたいと思ったそうだ。 

容姿が若いだけでなく、精神年齢も若くて、話してみると幼稚でがっかりさせられる人も多い。 若いのはけっこうだが、人というのは年を重ねるとともに品性や知恵を備え、年相応の顔になるのが素敵なのである。

年相応の品性を置き去りにして、若さを強調しても永遠に若くはいられない。 しわいっぱいの顔を美しく見せるためには、自分の内面を磨いていかなくてはならない。 若いときの顔と違って、中年以降の顔は自分の歴史が現れてしまう。 日々、地に足をつけて生きることが、いい顔をつくる条件のように思う。

「20歳の顔は自然から授かったもの。30歳の顔は自分の生き様。だけど50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る」(ココ・シャネル)

リンカーンは「男は40過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言った。シャネルも同じことを言っている。年を重ねて魅力的な人は、知性や品性が顔にじみ出ていてる。男も女も内面が輝いているということだ。

「二十代の顔より、六十代の顔がいい」と言われるよう…

自分の内面を磨き、年を重ねるごとに魅力的な人になりたい。

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