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「断っていい頼まれごと」とは?

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『運命好転十二条』(三笠書房)です。その中から頼まれやすい顔になるにはという題でブログを書きました。

小林正観さんは「断っていい頼まれごと」についてこう書いています。

「頼まれごと」は基本的には断らないほうがいいと思います。ただし、「頼まれごと」であっても「断っていい3原則」というものを、私なりに発見しました。断っていいことの一つ目は、「お金」「借金」の頼まれごとです。「お金を貸してほしいと言われて、それも頼まれごとだから必ず応じなければいいけないのか」という質問がたくさんありました。
「応じなくてよい」というのが私の答えです。というのは、「お金を貸してほしい」という頼まれごとは、その人に用事があるのではありません。「お金に用事」があるわけです。ですから、断っていいと思います。お金さえ手に入れば、その人である必要は全然ないというのが借金です。
断っていいことの2番目。それは「頭数を揃えたい」というものです。「忘年会で欠席者が出てしまった。10人で予約しているので、9人だと困る。急遽来てくれないか」「明日、ゴルフなんだけれどもひとり足りない。来てくれないか」というような「頼まれごと」です。これもその人の個性や人格に関わりがあるわけではありません。ただ数さえいればいいだけなので、断っていいと思います。
「頭数を揃えるためだけに声がかかったもの」というのは、基本的に「頼まれごと」ととらえなくていいと思います。3つ目は、「完全にできないということがわかっているもの」です。たとえば「300キロのバーベルを持ち上げてくれ」と私が言われたとします。300キロのバーべルなど持ち上げたこともありませんが、チャレンジしてみようという気にもなりません。
それは絶対に無理であるということがわかっているからです。オリンピックの選手でさえそんな重さを持ち上げません。ましてや虚弱体質の私にそれができるわけがありません。「月へ行って月の石を拾ってきてくれないだろうか」と言われても、それはできません。お断りするしかありません。「初めからできないことがわかっているもの」については断ってもよいと思います。
しかし、たとえば「PTAの役員をやって」「3分間のスピーチをして」とかいう話については、やったことがないのであればできるかどうかわかりません。そういう場合は、「できない」と断るのではなくて、「わかりました。お引き受けします」と引き受けたほうがよいように思います。
神様が見ていて、「たぶんこの人はできるだろう」と思うから頼んでくるわけです。ですから、やったことがなくてできるかわからないことについては、引き受けるとよいと思います。しかし、「何でも引き受ける」と気負いすぎると、「できない頼まれごと」を抱え込み、やがて行き詰ってしまいます。すでに先約が入っていて、スケジュールが取れないものについても、無理に引き受ける必要はありません。
人間には「できること」と「できないこと」があるのですから、「できない頼まれごと」には、「できない」と言ってもいいのです。「できないこと」を持ち込まれるとしたら、その人の中に「できないことでも何でも引き受けるぞ」という気負いがあるからです。私には、「できないこと」は持ち込まれません。なぜなら、気負いがないから。力がまったく入っていないからです。

小林正観さんは、「頼まれごと」を引き受け続けていると、ある時点で、「自分はこういう方向で必要とされている」と言う方向性が見えてくるといいます。それがいわゆる「使命」です。使命とは、「使われる命」と書きますが、まさに「こういうことをするために世の中に生まれてきたんだ」と気づくことです。

頼まれごとは、自分の好き嫌いとは関係ないことがやってきます。思ってもみないようなことです。そういう頼まれごとを受け続けていると、思ってもみなかった人生になります。これは「夢」や「目標」を叶える、という従来より教えらえてきた生き方とは違う生き方です。

それは、自分の想いをもたず、淡々と生きること。つまり「執着を捨てる」ということです。仏教では、お釈迦さまは「生きるということは思い通りにならないということ」だから「執着を捨てなさい」といいます。執着を捨てるとは、「こだわらない」「引きずらない」「決め打たない」「我を通さない」ということです。

「頼まれごとの人生」、これもまた素敵な人生だと思います。

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