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「我慢」ではなく「楽しむ」

今日のおすすめの一冊は、原田曜平&小祝誉士夫氏の『アフターコロナのニュービジネス大全』(ディスカヴァー)です。その中から「逆境の中の挑戦者たち」という題でブログを書きました。

本書の中に『「我慢」ではなく「楽しむ」』という示唆に富む文章があったのでシェアします。

コロナによって変わってしまった社会に対し、世界は自分たちを変えることによって適応しようとしている。しかし、日本は、変わることを拒み、嵐が過ぎ去るのをひたすら待っているのである。
では、なぜ日本人は「何もしない」ことを選んでしまっているのか。変わることを良しとしない前例主義のメンタリティに加え、政府や自治体の長、あるいはニュース番組のキャスター が再三口にしているあの言葉こそが、日本人の行動を呪縛してしまっている。それが「我慢」の二文字だ。
私たち日本人はコロナ禍で、「今はとにかく我慢してください」と言われ続けてきた。我慢は一見美徳のように思われがちだが、実は、打開策を見出したり、新しい挑戦をしたりする気持ちを奪い、思考停止に陥れる危険な言葉でもある。「我慢を」と言われてしまえば、前進をあきらめて停滞を選び、何もしない日々を過ごすことになりかねない。
だが、海外の国々は違う。制限された生活や社会の中でも、「何かできないか」「どうすれば苦境を乗り越えられるか」と前向きにとらえ、新しいアイデアが浮かんだら、ひとまずやってみる。厳しい状況の中でも、決して停滞を選ばず、前進すること、変わることを選択している。その選択ができるのは、「危機の中でも楽しみを見出そう」とする“エンジョイ”の精神が備わっているからだ。
コロナ禍の日本で「楽しもう」と言ったら不謹慎に思われるのが落ちだ。しかし、日本以外の国では、「我慢」ではなく「楽しむ」ことを優先する。だからこそ、クリエイティブなアイデアが生まれる。 そうして生まれるアイデアの中から、次の時代のビジネスにつながる種も出てくる。
つまり、「ピンチはチャンス」と言われるように、追い詰められた状況だからこそ、知恵を振り絞ることで、従来では考えつかなかったような革新的なビジネスがひねり出され、それがネクストスタンダードに育っていくのだ。 もう一度言うが、「我慢」の二文字でチャンスの芽を摘んでしまっているのが今の日本の現状であり、日本人自身の現実 だ。
世界はコロナをチャンスに変えてビジネスも生活もアップ デートしているのに、日本だけが時計の針を止めてしまっている。その結果、ウィズコロナだけでなく、アフターコロナでも ビジネスも社会も国も周回遅れとなりかねない。数年後に気づいたときにはもう遅い。その差は巻き返しが困難なほど、大き く広がってしまっていることに私たちは気づかされるだろう。
では、もう手遅れかといえば、そうではない。コロナがまだ収束していない今のうちであれば、リードを縮め、追いつき、追い越すことも不可能ではない。そのためにも今、日本人に必 要なのは、「我慢」をやめることだ。代わりに、コロナ禍にお いて世界で何が行われたのか、あるいは、今何が行われている のかを知り、そうした数々の先行事例をヒントに、ビジネスや生活、社会構造をアップデートする道を探ろうではないか。
日本人はゼロからクリエイトすることは不得手かもしれない。だが、海外の事例を参考に、アレンジしたり、より研ぎ澄まされたかたちに作り替えることは、歴史を振り返っても非常に得意な民族だ。その特質を発揮すれば、コロナ後のニューノーマルで、ものによってはビジネスの主導権を握ることも可能かもしれない。我慢をしている場合ではない。今こそが、私たちが自分たちの限界を乗り越え、従来の“日本人以上”になるラストチャンスだ。

この(困難な)状況を、「面白がろう」「楽しんでやろう」と思っている人は、面白くて、楽しいアイデアが生まれます。しかし、この困難な状況を耐え忍ぼう、我慢しようと思うなら、新しいアイデアや発想は一つも生まれません。

生き方や考え方、見方、一つで、物事はどうとでも変わります。日頃の生き方のスタンスがいかに重要か、ということです。アフターコロナの新事業やプロジェクトは、これからスタートしてもまだ間に合います。もうとっくに先行している人がいるから間に合わないと思って、あきらめたり投げやりにならなければ、いつだって始められるのです。

このコロナをきっかけに、何か一つでも新しいことを始めたいと思うのです。

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