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吉田松陰の読書

今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『小さな修養論 5』(致知出版社)です。その中から「人生は常にこれから」という題でブログを書きました。

本書の中に「吉田松陰の読書」という、心に響く一節がありました。

安政元(1954)年3月28日、松陰は伊豆下田の牢にいた。 その前夜、下田沖に停泊していたアメリカの軍艦に金子重輔(しげのすけ)と乗り 込もうとして失敗したのである。
松陰は牢番にお願いする。「実は昨日行李を流されてしまい、手元に読み物がない。何か書物を貸してもらえませんか」牢番は驚いて言った。「あなた方は大それた密航を企み、捕まっているのだ。どっちみち重い刑を受けるのだから、何も檻の中で勉強しなくてもいいではないか」
松陰は答える。「ごもっとも。それは覚悟しているが、お仕置きになるまでまだ時間がある。それまではやはり一日の仕事をしなければならない。人間はこの世に生きていれば一日の食物を食らい、一日の衣を着、一日の家に住む。それであるから一日の学問、一日の事業に励んで天地万物のご恩に報じなければならない。この儀が納得できたら、ぜひ書物を貸してもらいたい」

牢番は感心し、松陰に本を貸した。 松陰は「金子君、きょうこの時の読書こそ本当の学問だ」と言ったという。

渡部昇一氏はこのエピソードに触れ、こういっている。
「牢に入って刑に処せられる前になっても、松陰は自己修養、勉強を止めなかった。無駄といえば無駄なのだが、これは非常に重要なことだと思うのである。人間はどうせ死ぬものである。いくら成長しても、最後には死んでしまうことに変わりはない。この『どうせ 死ぬのだ』というわかりきった結論を前にして、どう考えるのか。松陰はどうせ死ぬにしても最後の一瞬まで最善を尽くそうとした。それが立派な生き方として称えられているのである」

自彊不息(じきょうやまず)」という「易経」の中の言葉があります。自彊とは、いくつになっても、どんな状況になっても、自ら勉強し、努力することです。まさに、これから刑を受け死ぬかもしれないというときであっても、自ら修養し、魂を磨くという、吉田松陰の心的態度そのものです。

本物人生をあゆむため、自分を磨き続けたいと思います。

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