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稲盛塾長の思い出

「一流の知性とは、二つの相対立する考えを同時に心に抱きながら、 しかも正常に機能し続けられる能力をいう」 

稲盛和夫氏がよく引用する、アメリカの作家・フィッツジェラルドの言葉だ。 

つまり、相反する両極端を併せ持ち、それを局面によって使い分けられる人物こそ、真にバランスのとれたリーダーだというのである。
藤尾秀昭(小さな修養論 5/致知出版社)より

以前、稲盛和夫氏を塾長とする盛和塾に入っていたことがあります。初期の頃のメンバーだった関係もあり、全国で7名の塾生の中の一人として私も選ばれ、稲盛塾長と対談しました。
 
京都の哲学の道沿いにある、京セラのゲストハウス「和輪庵」が会場でした。一人ひとりの対談も終わり、懇親会になったとき、稲盛塾長は、私の真正面に座られました。
 
前々からどうしてもお聞きしたいことがあり、質問しました。
 
「塾長は、普段、愛とか人に優しくとおっしゃっていますが、別のある時には鬼のように厳しく、情け容赦のない決断をなされますが、その相反することをどうお考えになりますか?」

稲盛塾長はそのとき、「うーん…」と言ったまま目をつぶり、2,30秒ほど黙ったあと、
 
「それは、すさまじい質問だ。私も、時々自分が精神分裂ではないかと思うこともある。しかし、相反することを、いとも平然とやってのけることができる人を名経営者というのだと思う」とおっしゃったのです。
 
まさに、前述したフィッツジェラルドの言葉の通りです。人生には、裏も表もあります。人は、鬼にもなれば仏にもなるのです。
 
「鬼手仏心」という言葉があります。見た目には、鬼のような情け容赦のないことをするが、実は心の中は、仏のようなやさしい慈悲心にあふれているということです。
 
外科医はメスをつかって、患者の体を残酷とも思えるほど切り開くが、それは患者を救うためという慈悲の心があるから、という意味で使われます。まさに、稲盛塾長の日本航空を始めとする、数々の奇跡の再建がこれだと思います。
 
名経営者にしても、我々凡人にしても、毎日といっていいほど、相反することは起きています。その相反する矛盾の中を、なんとか生きているのが我々人間です。
 
「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」
 
という、良寛和尚の辞世の句にもあるように、我々は日々、裏を見せ、表を見せて生きています。

 これを書いているうちに、昔、塾長に、強く叱責されたことを思い出しました。

かつて、盛和塾の塾生が300人ほど集まっている中で、私の経営の体験を発表することになりました。それが終わり、塾長の講評となりました。

「ゼンゼンなっていない、こんなことでは会社は潰れる」とかなり強い口調で鬼のごとき形相で怒られたのです。

かなり、ショックで頭の中が真っ白になりました。

終わってから懇親会となり、すっかりしょげて元気のない私を、塾長が隣の席に呼んでくれました。

「さっきは、言いすぎちゃってごめんね」

とニコッと笑って、まさかの優しいお言葉。思わず、涙がこぼれたことを覚えています。

また、和輪庵での対談のあと、我々を京都の財界人のあつまる「S」というお店に呼んでいただきました。

びっくりしたことに、そこには当時、京都商工会議所会頭だったワコールの塚本幸一会長がいて、私たちを見つけ、「君たちは、盛和塾の塾生か。稲盛君を頼むな」とおっしゃったのです。

そのあと続けて、君たちのために歌をうたうと言い、「軍歌」を2曲歌ってくれました。

今や塚本会長も鬼籍に入られました。
みな、懐かしい思い出です。

本日、稲盛塾長ご逝去の報に接し…
数々の塾長の言葉と教えが胸に去来しました。ここに、心からの感謝と、ご冥福をお祈り申し上げます。


 

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