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主語のない日本語の「優しさ」

今日のおすすめの一冊は、天野瀬捺(せな)氏の『世界が憧れた日本人の生き方』(ディスカヴァー携書)です。ブログも同名の「世界が憧れた日本人の生き方」として書きました。

本書の中に『主語のない日本語の「優しさ」』という興味深い文章がありました。

日本人は、西洋の個人主義とは一線を引いて眺めることができます。そのことは、日本人の話し方に見て取ることができます。西洋の主だった言語ではすべて、I(英) Je(仏) Ich(独) Yo (西) Io(伊)といった、「私は」という主語から会話が始まります。
一方で、日本人は主語のない話し方をすることがほとんどです。 また、日本では話しかけられた質問に対して「Yes/No」とすぐに裁断することを好みません。日本語の「はい」「いいえ」は必ずしも肯定・否定に使われるものではないのです。 何か頼まれたときも、とりあえず「はい」と肯定から入る。それから少し間を置いて、相手の立場を考えたうえで答えを伝える。とても「優しい」言葉だと、私は思うのです。
「優しい」といえば、日本語には罵詈雑言がないということを、多くの訪日外国人たちが指摘しています。1579年という、いまから430年以上も昔に日本を訪れたイタリア人宣教師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、日本人の会話のなか に「罵倒、呪詛、悪口、非難、侮辱の言葉」がないことに驚きました。
また1700年代 に訪れたフランス人宣教師、シャルルヴォア神父も、「日本では悪口、虚言、ごく些細な 盗みも、彼らにとっては極めていまわしく、死に値することである」と記録に残しています。
あるいは1885年に来日したフランス人、ピエール・ロチは、「豊穣に篤いこの国民の言葉には、罵言の言語が全く欠けている」と書きました。他にも、日本に罵詈雑言がないことを記録に残した外国人は大勢います。
これは一体、なぜなのでしょうか。私がカナダに住んでいたときに痛感したカルチャーギャップの一つに、「話さないとわからない」というものがあります。カナダは、異なる文化や言語を背景に集まった大勢の人々が共存する多文化社会です。そこでは、「コミニケーションがすべて」という共通のルールが存在します。言葉によるコミュニケーションを経て初めて、お互いを理解し合うことができると考えられているのです。
ところが、日本の社会に戻ってくると、途端に「そんなこと、言われなくてもわかるで しょう」と、無言のうちに要求されることになります。「その場の空気を読む、感じ取る」 ことを幼少期からしつけられる。これができることが、大人である条件とされます。読み書き、計算ができるよりも、その場の空気を読み、配慮し、調和を意識する心遣いに価値が見いだされるのです。
言い換えると、西洋は論理の世界であるのに対して、日本は非論理の世界であるということです。私は小学校時代に、朝礼の時間に「最近の子は “だって” “でも” が多すぎる。 先生やお家の人に叱れたら、“だって” “でも” と弁解をしない。言われたことはすぐにやりましょう」という話を聞いたことを覚えています。
理屈をこねず、身をもって示しなさ いという教えです。ところが、西洋の言語、たとえば英語だと、“because” “but" を使わず に会話をすることのほうが不可能です。理屈抜きには、会話もままならない。西洋と日本 は、言語構造、思考回路からして別なのです。
もちろん、世界がこれだけ狭くなったいま、英語を学ぶことは必要だと思います。ですが、日本語独特の、言語の背後にある非言語の世界を感じる能力までないがしろにしては ならないと思うのです。
最近は幼少期からの英語教育が盛んで、子どもの頃から英語で考え、英語で話すことを教え込むことも多いようですが、それによって非言語の能力が失われるのは、避けるべきではないでしょうか。
《言霊への信頼》
日本では、「言葉は恩恵をもたらす」という意識がかつてより人々のなかにあると言われます。いわゆる「言霊」と呼ばれるものです。前項で「非言語を意識するのが日本人だ」 と述べましたが、同時に言語の力も強く意識しているのです。
実際、外国人たちが一斉に押し寄せてくる1000年以上も前に、“不適当な言葉や不吉な言葉を慎しみ、不埒な言葉は戒めなさい” という制令が日本国内で出されていました。この事実は、日本人の言葉に対する感性の高さを表すという点で、注目に値すると考えます。

日本語に主語がないということは、他人を非難したり、罵倒したり、悪口を言うことが、自分に対しても言っている、ということになります。「バカ野郎」と言ったら自分にも言っているのと同じになってしまうのです。

万葉集の柿本人麻呂の歌に 「しきしまの大和の国は 言霊の幸(さき)わう国ぞ ま幸(さき)くありこそ」というものがあります。《日本は言葉が持つ力によって幸せになる国。これからも平安でありますように》という意です。

しかしながら、昨今はSNSで罵詈雑言が乱れ飛んでいます。顔が見えないから、身元がバレないから、ということだからでしょうが、嘆かわしいことです。昔の日本人がこれを見たらなんと言うでしょうか。

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