見出し画像

幸せは日常の中に

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『すべてを味方 すべてが味方』(三笠書房)です。その中から「どれほど満たされているかに気づくこと」という題でブログを書きました。
ブログの詳細はこちらから☞人の心に灯をともす

小林正観さんは、こう語ります。

あるホテルでエレベーターを待っていたときのことです。目の見えない方が2人、白い杖をつきながらエレベーターから降りてきました。そして、「どなたかホテルの方はいますか?」と声を出しました。私の後ろに荷物を押しているホテルの女性職員がいて「はい」と答えたので、2人は「大浴場はどちらですか?」と尋ねた。職員は荷物のほうを向いていたので、2人が目の不自由な方とは気がつかなかったのでしょう、「あちらです」と指をさして言いました。
2人が「では肩を貸してください」と言ったので、職員も「あっ!」と気がつき、謝りながら2人に近づいて、肩に手を添えながら歩いていきました。この光景を見て、思いました。私は目が見えないという経験をしたことがありません。だから「あちらです」と言われて不自由に感じたことはない。日常のあたりまえの言葉なのです。しかし、目が見えない人にとって、それはあたりまえの言葉ではなかった。彼らは肩を借りて誘導してもらわなければいけないのです。
生まれてからずっと目が見えない人は、「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、親の顔を見てみたい」「結婚した相手の顔を見てみたい」「子どもの顔を見てみたい」と思いながら生きているそうです。私たちは、0.1秒どころが、生まれてこのかた目が見えないことなどないにもかかわらず、目が見えるということに対して、感謝することなどまずありません。
それどころか、「あれが欲しい」「これが欲しい」「あれをよこせ」「これをよこせ」と現状に対して不満ばかり口にしています。私たちは小さい頃から、足りないものをリストアップして、それを手に入れなければ幸せになれないと教え込まれています。そのように洗脳されているのです。
「自分がいかに恵まれているか」「自分がいかに幸せか」「自分がいかにありがたい状況に生きているか」ということに気づいたら、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の「五戒」など口から出てきません。
願いがかなったら、望んだものが手に入ったら感謝する、というのは、本当の感謝ではありません。何も要求することなく、不平不満を言うこともなく、いま目の前にあるものをありがたく味わう。それこそが、本当の「感謝」なのです。人は、自分がいかに幸せな状況のなかで生きているのかに気がつきません。(人生は4つの「おつきあい」/サンマーク出版)より

我々は、本当はたくさんの幸せに囲まれて生きているのに、その幸せに気づきません。そして、ついグチや文句を言ってしまいます。そして、自分が病気になったときや、怪我をして入院したりしたときに初めて健康のありがたさに気づきます。まさに、メーテルリンクの「青い鳥」のように、幸せは身近なところにあるのですね。

今日のブログはこちらから☞人の心に灯をともす


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?