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「したたか」になってはいけない

今日のおすすめの一冊は、鍵山秀三郎氏の『困ったことばかりでも、何かひとつはよいことがある。』(PHP)です。その中から『「縁」に近道はない』という題でブログを書きました。

本書の中に『「したたか」になってはいけない』という心に響く文章がありました。

実践を通して学ぶ。このことに、異論のある人はいないと思います。ところが、実践だけで生きてきた人は、どうしてもしたたかな人間になりやすい傾向があります。

「オレはこんな修羅場をくぐり抜けてきた」「オレは社会の表も裏も知り尽くしている」「いまでは、怖いものが何もない」

これでは、せっかく積み重ねてきた体験も水の泡。表面的には、強くなったように見えても、体験がひとつも生かさせていないからです。たとえどんな険しい体験をしてきたとしても、したたかな人間になってはいけません。

「オレはこんな体験をしてきたから、少々のことではびくともしないぞ」というような強がりを、勲章にしているような人は最低の人間です。

人間はいくつになっても、純粋でなければいけません。小さなことに対しても、傷つきやすい感受性豊かな人間でなければいけません。そういう人間だけが、周囲の人を温かく包み込む資格があります。世の中を憂鬱(ゆううつ)にし、暗くしているのは、このしたたかな人間です。

◆「したたかな人」とは、一筋縄ではいかない、強くて手強そうな人。あまりいい意味では使われないが、生きる上では、ある程度このしたたかさもなければいけない。特に善人はそうだが、だまされてしまうからだ。

しかし、それを自慢のように言って威張るのなら、その時点で恥ずかしいレベルの低い人となる。数多くの失敗をして、だまされ、人間の裏表を知ることも必要だ。しかし、それを全面に出した途端、卑しくて、品性下劣な人間となってしまう。

「初心忘るべからず」という世阿弥の言葉がある。いくつになっても、「初心」という素直さを忘れてはいけないということだ。ベテランになればなるほど、年を重ねれば重ねるほど、初心を忘れない。謙虚であれ、と。つまり、したたかになってはいけない、ということだ。

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