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日本の「包む文化」とは

今日のおすすめの一冊は、外山滋比古(とやましげひこ)氏の『本物のおとな論』(海竜社)です。ブログも同名の「本物のおとな論」で書きました。
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「包む文化」について外山滋比古氏は本書の中でこう語っています。

こどもに勉強を教えていたFさんが、外国人に日本語を教えることを始めた。なれないこともあって、まごつくことが多かったが、いちばんびっくりしたのは月謝である。日本のこどもは月末になると、封筒などに入れたお金をもってくる。ところが外国人は、むき出しの金を差し出す。はじめは、手が出なかった、とFさんはいう。
それで月謝袋をつくり、それに入れてもってくるようにした。それでも、ハダカの金をもってくる外国人がなくならない、となげいていた。日本人はものを買うとき、乗物の切符を買うときなど、機械的な支払以外、むき出しのカネを出すことはない。カネは包むものと決めている。見舞いなどで現金を手渡すことなど、いくら非常識だって、しない。かならず、包み金にする。
結婚祝いはかつては品ものを贈るのがならわしだったが、同じものがダブって貰った人が困ることから、現金を渡すことが多くなった。いくら乱暴な人でも、ハダカの金を出すことはない。香典は昔から金ときまっていたが、きれいな新券の紙幣では、いかにも、用意して待っていたかのようでおかしい。わざと折目をつけ、手許(てもと)にあったのをとりあえずもってきたように装う。
そして、包みの袋にはカネをかける。品ものを贈るにしてもムキ出しは禁物である。いくら親しくても、ビニール袋に入れたりんごを贈るのは、常識的ではない。わけを話し、失礼を詫(わ)びる。できれば、化粧箱に入れる。そうすると、ずっと上等な贈りもののように見える。
むき出しがはばかられるのは、カネや品ものだけではない。ことばも、ナマでは差し支(つか)えがあるから、手紙にする、ということがある。顔をつき合わせているときには言いにくいことが、手紙なら書きやすい。心やさしい、のである。相手に強い打撃を与えそうなことは、なるべく、ゆっくり出す。頭からノー、とやるのは、いかにも気の毒である。
まるで無茶な話でも、のっけに、“反対です”などとするのは大人気ない。「さようですな。そういう考え方も可能でしょう。…」といかにも、半分承知したようなことを言うが、決して、イエスではない。“しかし、ながら”というようなことばをはさんで、すこしずつ、賛成できないことをはっきりさせる。最後は、「どうも賛成いたしかねます」というようなことになる。

現代は、あやふやで、曖昧な言い方は好まれません。はっきりとした明瞭な論旨で、論理的思考が大事だとされるわけです。しかし、外山氏のいう通り「論理は攻撃的」です。議論をしているときなど、論理的にたたみ込まれると、詰まってしまいます。そして、それの鬱屈(うっくつ)が溜まって限界に達すると、ついには爆発するようになります。俗にいう「キレる」という状態です。

むやみに人と争わない、ケンカをしないためにも、大人の表現力を身につけたいものです。

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