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あのこは幸せに過ごしただろうか

これは私の消えない後悔の話し。

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曾じい・曾ばあ、祖父母、私たち家族5人と、四世代で過ごした我が家にはずっと犬がいた。

私が産まれた次の年、コリー犬のジョンがやってきた。
ジョンとは姉弟のように一緒に大きくなった。といってもコリー犬なので想像以上に大きく、小さな頃は少し怖かった。ジョンは祖父が飼った犬なので、世話も散歩も祖父がしていたこともあり、責任はなく可愛がるだけの大好きな存在だった。

ジョンはとても毛並みがよく、とても格好良くて頭も良かった。
一緒に散歩をするのは鼻が高かったのをよく憶えている。たいてい「素敵なわんちゃんですね」「いい子ですね」と声をかけられたから。まるで自分が褒められているように、ふふん、でしょでしょ♪と心の中で思っていた。

ジョンが12歳を過ぎた頃、加齢により日に日に弱っていった。
そんなある日、ジョンがいなくなった。
慌ててみんなで探し回るといつも散歩へ行っていた公園でうずくまっていた。途中交通量の多い道もあるのにどうやって。。。無事見つかって本当に良かった。
祖父が連れ戻し一安心した数日後、またジョンがいなくなった!今回は近所の方が連絡をくれ、すぐ近くの駐車場にいたのを連れ戻した。

「どうして逃げちゃうの?うちが嫌なの?」
中学生になった私は、部活に勉強に遊びに忙しくジョンと過ごす時間が減っていたが、とても悲しくて悲しくてジョンに聞くと、「くうぅん」と悲しそうに鳴いた。
それから数ヶ月後、ジョンは亡くなった。家でとても穏やかに。
後日祖父が、「コリー犬は頭がいいから死に姿を飼い主に見せないよう家を抜け出したんだよ」と言っていた。ジョンらしいなぁと思った。

***

ジョンの死後2年が経ち、私が高校生の時に妹が犬を譲り受ける話しを持ってきた。動物の死は辛いし、動物を飼うということの大変さを散々話し合った上で、雑種のラブを飼うことに決めた。

ジョンとは違い、今度は私たちが飼い主だ。動物の世話をすること、しつけをすることの難しさを痛感しながら、妹と2人何とか世話を続けた。とは言っても、高校→大学とより時間が取れなくなった私たちは、その大半を母親に任せっきりにしてしまった。ラブは母親の言うことを一番きくようになったのは言うまでもない。

ラブは私たちの言うことをあまり聞いてくれなかった。
私たちのことを友達だと思っているようで、いつも無邪気にもっと遊ぼーーっと有り余る力でぶんぶん振り回していた。抱っこされるのが嫌いで、撫でられるのもあまり好きではなかったけど、散歩が大好きで雨でも雪でも欠かさず行きたいと私たちを呼んだ。正直大変なことも多かったが、その分可愛さもひとしおだった。ジョンとはまた違う愛おしさがラブにはあった。

ラブが11歳になる頃、実家が引越しをした。
もともとの家から5㎞ほどで、私たちもラブも自家用車で引越しとなった。新しい家の庭に今までと同じ犬小屋を置き、ラブも新生活を始めた…はずだったのだが、犬にとって”引越し”など人間の都合を理解できるはずもなく、自分の家ではない。。。という思いがずっと続いていたのかもしれない。

引っ越してから数ヶ月後、忘れもしない職場の暑気払いを終え、帰ろうとしているところに母から電話が来た。母は「ラブくんがいなくちゃったの」と言った。
意味が分からなかった。頭が真っ白になってとにかくどうしようどうしよう。。。と焦りと不安で涙がボロボロと溢れてきて、職場の人を驚かせてしまった。
話しを聞くと、いつも母親が自転車で仕事へ向かうと激しく鳴いていた。今日もやはり激しく鳴いていたのだけど、急に静かになり父親が庭を見ると繋がっていたはずの鎖が途中でちぎれ、ラブはいなくなっていたのだと。恐らく母親を追いかけたのだが、自転車に追いつけるはずもなくそのまま行方がわからないとのこと。
とにかく早く探さないと見つけてあげないと。。。帰りの電車は人目はばからず泣き、1分でも1秒でも早く探しに行きたくて電車の中を走ったら少しでも早く帰れるかな…そんなことを考えながら家路を急いだ。
妹と落ち合い、前の家から今の家の間、いつもの散歩コース、近所の空き地。。。想像つく限り歩き回って夜中まで探したが見つからなかった。警察や市に届出をし、保護犬、迷子犬の情報を常に見続けたが、何ヶ月経っても何年経ってもラブに該当する情報は出てこなかった。

***

誰のせいでもない。
だけれどもこんな別れ誰も望んでいなかった。

ただただ辛く悲しく後悔ばかりの日々が続いたが、情報がないということは誰か優しい人がラブを可愛がってくれているかもしれない。その人の元で幸せな日々を過ごし最期を迎えたかもしれない。そう思うことでラブを供養してあげようと家族で話した。

とは言っても、自分たちが責任を持って最期まで一緒にいることが出来なかった後悔は、10年経った今も消えない。思い出すと涙が止まらなくなる。
人でも動物でも家族、大事な存在であるからには最期はできる限り後悔のないようにしたい。後悔が残ることが何より辛いから。。。

このnoteを書こうと思ったのは、ゆみっぺさんのこのnoteを読んだから。

自分の消えない後悔を、書くことで整理して癒やし浄化したかったのかもしれない。

もしね、もしもう一度ラブに会えるなら、ごわごわだけど温かい体をぎゅーってしたい。きっと嫌がられるんだろうけどね(笑)

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