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ドラマ感想 アンナチュラル

今更視聴してみた。世間の流行から何周遅れかわからないがとにかく見てみた。

まず最初の感想。

毎度毎度米津玄師で視聴者を追い討ちしなくて良い。

「夢ならばどれ程〜」も「苦いレモンの匂い」も、45分見ればとっくに視聴者の心に浮かび上がっているのだから一々追撃をかまさなくて良い。オーバーキルだ。

真面目に書くと、まず第一話でコレは面白いと思った。死者の死因から感染症が浮かび上がるというギミックまでは予想の範疇ではあったがそこからさらにもう一段仕込んでくるとは思わなかった。

全体的に他の刑事ドラマよりも一段深く話を練っていると感じた。後味の良い話はほとんどないのだが、視聴後に「沁みる」ストーリーになっていたと思う。

特に最後まで「復讐」という行為を否定しなかった。「復讐は何も生まない」という言葉は当事者にとっては意味を持ちがたい綺麗事であるということを否定せず、しかしそれでも同じ悪に落ちてはいけないのだと繰り返し訴えてくるストーリーはとても良かった。

中堂が抱える苦しみ、煩悶、怒り、憎悪を丁寧に描き、本当に最悪の事態になってもおかしくないという行動を散々見せつけた上で、最後の一線を越えない、越えさせないという結末を用意してくれて本当に良かったと思う。

中堂は殺人という「アンナチュラル」と戦い切った。

実は見始めた頃は三澄の家庭の事情が深掘りされるのかと思っていたがそんなことはなかった。ただこれは三澄が中堂とはまた違う「アンナチュラル」と戦っていることを示すのだろう。

もう絶対に明らかにならない真実、永遠に闇の向こう側に行ってしまった「アンナチュラル」とも人は向き合わなければならない。忘れることはできず、解決されることも永遠にない苦しみと向き合い続けること、それが三澄の戦いということだろうか。

この二人の物語を中心に全編にわたって「lemon」の歌詞が自然に頭に浮かんでしまうことが多かった。

尚、爽快な話ではないと書いたが最後の結末は正直スカッとした。

最終章の犯人達は自分たちを伝説、神秘にしようとした。強烈な印象を人々に与えながら実態は曖昧模糊な存在となることで人の社会、法、倫理、道徳の及ばない領域に行こうとした。

それに対して三澄はまず「科学」によって示しうる知見を丁寧に示した上で、それらと接続する、いかにもありそうな「物語」を提示した。

「科学」と「物語」この二つの合わせ技によって彼らは神秘ではなくなった。

「科学」だけでは彼らを理解することはできない、それは犯人が言った通りだ。
しかし曖昧な物語では彼らの神秘性を高める要素にしかならない。ところがある「物語」が「科学」によって強固に裏打ちされ、誰もが「いかにもあり得そうだ」「きっとそうに違いない」と考えるようになって、あの犯人は人々が理解できる存在に堕とされた。

実はあの「物語」が正しいかどうかはどうでも良いのだと思う。正しいと証明されるべきは「科学」だけだ。しかしその「科学」が示す先で、人々は共通の「物語」によってあの犯人を語るようになる。そうなった犯人はもう不思議でも神秘でもない。「アンナチュラル」ではなくなってしまったのである。

そしてそれは、目の前の事実と真摯に向き合い、信念を曲げることがなかった三澄だからこそできたことだと思う。三澄が事実と徹底的に戦って獲得した「科学」こそがあの「物語」に決定的な力を与えたのだ。


偉そうに色々書いてしまったが、一気見してここで感想を書いてしまうくらいには面白い作品だった。今後「lemon」を聞く時は必ずこの作品を思い出すのだろう。

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