カトリック神父「小児性的虐待」を実名告発する(1/3)〜“バチカンの悪夢”は日本でもあった!

  2019年4月7日、日本カトリック司教協議会会長の高見三明・長崎大司教が、全国の教会で起きた小児性的虐待の実態調査に乗り出すと表明しました。
 これまで米国、アイルランド、フランス、ドイツなど世界各国で相次いで被害が明るみに出る中、日本では“対岸の火事”と受け止められてきました。
 ところが2月発売の文藝春秋3月号に筆者が発表した実名告発レポートをきっかけに、日本のカトリック教会に行動を求める内外の声に背中を押されて動き出したのです。今回公開するnoteでは、おさらいの意味も込めて、発端となった文藝春秋掲載のレポートを3回に分けて掲出しておきます。

ついに名乗り出た最初の被害者

「神の家」は、少なくとも3度燃えた。火元は寝室や図書室でこれといって火の気はなく、原因ははっきりしなかった。
 焼け跡を映したモノクロ写真を差し出すと、初老の男は覗き込んだ。2件の火事はこの男が小学生だった1963年と1969年、もう一件の火事は2012年に起きた。焼けたのは児童養護施設「東京サレジオ学園」である。

 その男、竹中勝美(62歳)が口を開いた。昂ぶると、裏声になる。
「どちらも放火だと思います。火をつけたくなる者の気持ちが、私にはわかる。すべてを燃やし尽くしてしまいたくなったんだろうって」
 きわどい発言だが、表情に戯れの色はない。この施設の神父に人生を狂わされたという怒りのためだ。相槌を無視する勢いで、竹中は続ける。
「燃えた場所を見てください。出火元の階上にあるのが〝燃やしたい場所〟だったはずです。10歳だった私が、あの男のものを握らされ続けた場所でもある」

 そこは神父の居室だ。

 2018年末から正月を挟んで2日間、総計五時間半にわたって竹中が私に語ったのは、イタリアに本拠地を置くサレジオ会――イエズス会に次ぐ規模で国際的なネットワークを拡げる名門のカトリック修道会――の神父である園長からかつて一年間にわたって受け続けた性的虐待の実態だった。
人への奉仕のため禁欲を誓ったはずの男性神父が、少年に性行為を強いるという小児性愛犯罪(ペドフィリア)。その手口には時に耳を塞ぎたくなるような内容が含まれている。

 10代の初めに神父から受けた性的虐待によって心的トラウマを抱えた竹中は、一連の記憶を20年以上にわたり、心の中に無自覚にしまい込み、あたかも「ないもの」のようにして暮らした。そして30歳を過ぎ結婚して間もなく、ふとしたことから忌まわしい記憶を取り戻した。

 竹中は意を決して自身の経験を教会に告白したという。だが、向き合うべき日本の教会――修道会、教区あるいはカトリック中央協議会による第三者調査はいまだ行われておらず、「沈黙」を守っている。
 現在、世界中でカトリック教会に対して、ペドフィリアの告発が相次ぎ、大問題になっているにもかかわらず、である。

「魚は頭から腐っている」

 海外で相次いで被害が発覚しカトリック教会に向けた強い批判が巻き起こったきっかけは、2002年1月に始まる米国「ボストン・グローブ紙」による調査報道だった。

 母子家庭に育ったフランク・リアリーがまだ13歳だった1974年、病的な小児性愛者、ジョン・ゲーガン神父は笑顔で少年に近づいた。
〈司祭の手はリアリーの脚をはいのぼり、木綿の半ズボンと下着の下にすべりこんだ。

「あいつは私に触り、なで回しました。私は凍りつきました。何が起きているのかわからなかったのです。神父はしゃべり通しでした。『本を閉じて。目を閉じなさい。天使祝詞(アベ・マリア)をともに唱えよう』。私は言われた通りにしました」〉(ボストン・グローブ紙『スポットライト』邦訳版・2016年刊)

 善いのか悪いのかを判断もできない、拒否する力の弱い少年を司祭館に連れ込んで愛撫し、性器を口に含む。レイプされた被害者もいる。リアリーが20代半ばで告白するまで、ゲーガンは30年にわたって聖職者であり続けた。問題を起こしては教会から教会へと異動させられるだけで、行く先々で止め処なく〝捕食〟した。この男にやられたと訴えた犠牲者はのべ130人に上る。

 ゲーガンは例外ではない。訴えられた神父はそれまで70人もいた。だが、「初のアメリカ出身教皇」という野心に囚われた枢機卿のバーナード・ロウ大司教(2017年に死去)は発覚を避けることを優先した。密かに賠償を支払って和解し、秘密保持契約によって被害者の口を封じた。被害拡大を黙認していたのだ。
 ゲーガンは収監された刑務所で服役囚に絞め殺されたが、辞任したロウの処遇は引退でも僻地への左遷でもなかった。次のポストはローマでも屈指の格式を誇るサンタ・マリア・マッッジョーレ大聖堂の主任司祭。総本山バチカンの教皇ヨハネ・パウロ2世(当時)は連鎖を断ち切る姿勢を持ち合わせてはいなかった。
 ただ、ボストン・グローブ紙の報道によってパンドラの箱は開いた。報道は孤独に苦しんでいた被害者たちに「自分だけではない」という理解を促した。ダラスやシアトルに、さらに海を渡ったポーランドやアイルランドに飛び火して犠牲者が名乗りをあげた。集団訴訟が相次ぐ米国では教会の賠償額は30億ドルを超え、複数の教区が破産申請した。東部の都市ボルティモアでは、虐待を受けていた26歳の青年が加害神父を銃撃する事件まで起きた。
 報道に後押しされるかたちで複数の国で第三者委員会が立ち上げられ、調査が行なわれた。

 本来、「政教分離」を重んじる近代国家では公権力による宗教介入に慎重になるのが原則だが、腐敗の摘出に後ろ向き教会の対応にしびれをきらした政府や議会や捜査機関が1000頁近い報告書をつくり、神父の悪事を実名入りで曝け出したのだ。
 国民の9割がカトリック信徒といわれるアイルランドでは議会が動いた。法律で設立された委員会は裁判官をトップに3年をかけて調査し、2009年、46人もの虐待神父の存在を明らかにした。委員長の名前をとって「マーフィー報告」とも呼ばれる。
 オーストラリアでは2017年、政府設置の王立委員会の報告書が、存命中の人だけで4000人以上がキリスト教関連団体で被害にあったと明らかにした。米国ペンシルバニア州の大陪審は昨年8月、1947年以降、1000件以上の性的虐待があったと発表した。実名を記された加害司祭の数は300人に及ぶ。
翌九月、ドイツの司教協議会は3つの大学の研究者に委託した調査を公表した。過去70年近くの間に少なくとも3600人以上の未成年者への性的虐待を突き止めている。

 第三者の力を借りなければ、組織は身内の膿を出し切れない。一歩間違えば「性犯罪(セックス・クライム)」を信仰上の「罪(シン)」と混同し、告解の赦しによって水に流しかねない、と疑われるようでは客観性を保てない。そうした考えからだろうか、昨年12月21日、教皇フランシスコはバチカン宮殿で行なった演説で「司法当局に出頭し、神の裁きに備えよ」と、今も隠れているであろう加害神父を非難した。

 次第に批判の矛先は自浄能力のないバチカンにも向けられていく。
昨年8月、イタリア出身の元駐米大使のカルロ・ビガノ大司教は「教皇は米国の枢機卿(すでに辞任。2019年2月に聖職剥奪)の虐待を知っていながら見逃してきた」と糾弾した。教皇選挙で票を投じてもらった見返りではないかという指摘に根拠は示されていないが、混乱に収束の兆しは見えない。展開次第では、「魚(カトリック教会のシンボル)は頭から腐っている」と批判された挙句に退位した前教皇と同じ轍を辿る恐れもある。

 このようにあらゆるカトリック世界が炎上を続けたこの約20年間、不思議なことにペドフィリアをめぐる大騒動と無縁の「空白地帯」であり続けた国がある――日本だ。

 確かに日本ではカトリック信徒の数は人口の5パーセントに満たない。そのせいか教会の不祥事など新聞でも国際面のみ。信徒の間でさえ関心は薄く、他人事のニュースと受け止められてきた。「日本人が当事者になるはずがない」と思われていたからだろう。
だがこの認識は、誤りである。            〔2/3 に続く〕


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