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総選挙で問うべき「病床確保」に欠けているリアリズム

きょう、10月19日は衆院選の告示日です。

新型コロナウイルス感染症の流行開始後、初めての全国規模の国政選挙ということもあり、「第6波」に向けた新型コロナウイルス対策は、選挙でも最重要の争点とされています。ただ、昨日の東京都の感染者数が29人と今年最少であると報じられました。流行が落ち着いているせいもあってか、与党が議席を減らすとはいえ限定的という公算が週刊誌で報じられ、政治にコロナへの危機感は薄れています。新聞でも第5波の総括特集が組まれたりしていますが、ずっと政策決定のプロセスや現場の様子を観察してきた一人として、ちょっと物足りなさを感じてもいます。

[ちょっと長くなってしまいましたが、ここまでコロナを取材して、分断とか格差とかもありますが、まずは政治に求めるべきものが何か私なりに思うこと、voicy「ニュースの思考法」でお話ししたのですが、あんちょこメモであります]

新政権の実質最初の政府対策本部が先週金曜日の10月15日に開かれ、その場で政府は「次の感染拡大に向けた対策」の骨格を示しました。そのポイントは「感染拡大時の強い行動制限」「自宅・宿泊療養者を医療機関が観察・診療」「中和抗体薬の確保、経口薬の年内実用化」「“幽霊病床”の実態把握」の4つです。

経口薬の普及が年内に間に合うか微妙な中で、いちばんの注目点は「幽霊病床」だと思います。つまりはコロナ病床として都道府県に対して「即応可能」と申告されたはずなのに、実際にはピーク時でもコロナ患者を受け入れていない病床がある、という繰り返し提起されてきた問題です。政府は次のように記述していました。

感染拡大時に確保した病床が確実に稼働する体制を作る。ピーク時に即応病床と申告されながらも使用されなかった病床(いわゆる「幽霊病床」)の実態を把握し、感染拡大時のコロナ用の病床の使用率について、少なくとも8割を確保する具体的な方策を全体像において明らかにする。(10月15日「新型コロナウイルス感染症対策本部」提出資料/〈「次の感染拡大に向けた安心確保のための取組の全体像」の骨格〉)

「幽霊」というのは初めて出てきた言い方ですが、「生きているように見えて死んでいる」という意味でしょう。ちょっと謎(ミステリー)あだとでもいいたげな表現です。ただ、複雑ですが謎ではないというのが、私が思っていることで、それは後でお話しします。

例えば東京都は医療機関と6400床を確保していたはずだったのが、病床使用率が高まった9月1日時点でさえ、受け入れ病床は約4200床(65%)止まり。残りの35%の病床が機能しなかったことは理由について、これだと踏み込んではいません。書類上はコロナ病床になっていても、この病床を動かすための医師や看護師が確保できず動かせないという事態が続発した。そのことに政府は対処する、というのです。

菅首相が直面した複雑な多元方程式

この点について、この日、報道ステーションの解説をしていた梶原みずほ記者(編集委員)は次のようにコメントしていたのが印象的でした。

人材確保と配置を調整する、一元的な体制が大事。 こういったことは以前から取り組むことができたはずのことだと思うので、すみやかに改善してほしい。 (10月15日放送 テレビ朝日「報道ステーション」)

確かに、不足してはいるのですが、医療人材は一朝一夕には増えないので、ミスマッチを解消する方が効率がいい。全体では足りているのに、必要なところに医師や看護師がいない、適正に「配置」せよ、そのために人材を「一元的に調整」せよ、というのはもっともらしい解決策に聞こえます。

でも、「配置」「調整」はどうやってやったらいいのでしょうか。病院に「一元化せよ」と唱えると配置や調整が動きだすほど単純なものなのでしょうか。あれだけ剛腕と言われた菅義偉前首相が退任会見で「医療体制をなかなか確保できなかったというのは大きな反省点」とこぼしたほどの問題点なのに、どうしてできなかったのか。その原因が多くの人に伝わっていないのではないでしょうか。そして、ここに切り込まないと、第6波でも、また何かかたちを変えた混乱が起きる気がしてなりません。

病床の確保の問題点は、じつはかなり複雑な多元方程式だと思います。簡単ではありませんがここでは3つほど、制約要件をあげたいと思います。

第1に、病床はただ物理的なベッドがあるだけではない。ベッドにはふだんコロナ以外の患者が入院している。この患者に転退院をしてもらうことで、コロナ向けの病床を空ける。当然、病状や戻る先の家の状況によって時間はかかる。「確保病床」が「即応病床」としてカウントできる状態になるまでには2週間〜1か月の時間がかかるとされています。

第2に、医師や看護師の「本務」への葛藤があります。コロナ病床に転換すれば、ベッドという物的インフラの用途が変わるだけでなく、ベッドを働かせるための医師や看護師が向き合う仕事の内容をがらっと変えざるをえません。ICUや救急救命向けのベッドをコロナに振り向けることで、その間病院は、通常ならば受け付けるであろう交通事故や脳卒中の急患を受けられなくなります。患者や家族の不安はもちろんのこと、本来の職務の医療分野のニーズが減っているわけでないのに、その仕事をある意味「放棄」せざるをえない医師や看護師にとって使命感との間で葛藤も生じる。また、全ての医師が感染症に対応できるわけではありません。

この夏の第5波が高じていく最中、中等症と重症患者を受け入れていたある大学病院では、精神科医や心臓外科がコロナ患者が退院した後の病室の掃除や片付けを手伝っていらっしゃいました。当然、病院として、そうした内臓疾患の診療科や精神科の診察・検査の頻度をへらし、手術日程を先送りするという判断をくだしたのです。

それでも中等病床は東京五輪開会式と重なった4連休には満床になり、8月上旬にはコロナの重症病床も満杯になって、何人もの新規患者の受け入れを断っていました。

「医療崩壊」の深層にあるひずみというのは、地域にとって本来必要とされてきた通常の医療の需要に応える部隊を(求められているのに)、はがしてはコロナに振り向ける苦しい判断を現場がいちいち強いられたということだと思います。

当然、医療の使命からしても簡単な判断とはいきません。段取りを間違えた末に患者さんにもしものことでもあれば、十分な医療を受けられなかったと裁判になることだって考えられます。

「幽霊病床」はなぜうまれるのか

第3波に襲われた今年1月、病床即応できなかったことを受け、インセンティブを高めるために当時の田村憲久厚労大臣は、コロナのベッドを確保すると重症病床で1床あたり1950万円、中等症以下なら900万円を補助すると決めました。さらに1日あたりの病床確保料として、重点医療機関で1日40万円という破格の助成も用意されました。

これで東京都では1月の4000床から第5波が急速に拡大しつつあった7月半ばには6400床までは増えはしたが、感染者が3波の2倍に膨らんだ場合を想定する、という厚労省の病床確保計画策定上の目標には達しませんでした。

空前の大盤振る舞いでしたが、表層的なやり方だったのではないか、と私は疑っています。実際、補助金の申請をしつつもあえて空床にして金だけをもらい続けている病院があるのではないかという憶測も流れ、厚労省が調査する事態になりました。そう言い出したあたりで増えた病床もあったのは事実ですが、大幅に即応病床が増えたわけでもないところを見ても根本的な問題がそこだったとは思えません(大きな問題ではありますが)。

第3に、こうした準備に対し、想定した流行カーブを突き抜けるような急角度で感染が拡大していきます。この夏の第5波で流行したデルタ株は従来株の2倍の感染力とされたが、それ以前の流行でも、いずれも応戦体制を流行向けにチェンジする速度を追い越すかたちで高速で悪化しました。

重症化ピラミッドの“頂点”を受け持つ大学病院のICUなどが埋まると、中等症や軽症の患者を診る病院にも影響を及ぼしました。

8月半ばに取材した時、東京曳舟病院(墨田区)は軽症・中等症の患者の病床を18床まで拡大させていました。中等症までが本来の役割ですが、7月半ば以降、運ぶ先がない環境が常態化し、重症患者も診ていました。

その体制を拡充するなら、集中治療室にある人工呼吸器をコロナ病床に持ち込むことができたが、三浦邦久副院長は「コロナの重症患者を診るなら、ほかの一般の救急患者を絞らざるをえなくなる」と話していました。命の線引きという苦しい判断にずっと直面していたのです(第5波の病院で何が起きていたかについては拙稿「小池百合子が東京を壊す」と文春オンラインの梗概版に書きました)。

そこで、ピークが過ぎるまで18床のうち13、14床を上限にコロナ病床を運用していました。4、5床は重い患者が来た時のために空けておかないと、重い患者が重なった時には搬送先もなく対処するベッドが払底し、対応の選択肢をうしなうからです。政府が「幽霊病床」と呼んだ病床が積み上がっていく要因の一つです。

そもそも、日本の医療は、病院の自由に委ねることで医療体制を整えてきました。家庭ごとのホームドクターが制度上決まっている英国のような仕組みとは違い、民間病院は診療報酬をもとに収入が決まるビジネスモデルです。同じ地域で競い合う関係にある同じ規模の病院同士でふだんは患者を奪い合う関係にあり、つまりはベッドの空床率ができるだけ低くするためにベッドに長くいてもらおうとさまざま至れりつくせりのサービス競争も行われてきました。そこに国や自治体は口を挟めずにきました。

お金がかかる急性期や難病治療など、公益性がある高度医療は、自治体の公営企業会計にぶらさがる病院が一般会計からの補填をうけつつ任されてきた。感染症病床はまさにその最たるものでした。

今回も、政府が策定する「第6波」対策では、東京都などの大都市部を中心に、公的病院に役割を担わせるといい、こうした医療期間が受け入れに二の足を踏めば国立病院機構法や地域医療機能推進機構法に基づく要求を発動すると言います。病床協力の旗頭として率先して役割を果たすよう、公的医療機関から「隗より始めよ」ということでしょう。

ただ、地域の中核になるような病院がコロナ専門と化せば、何が起きるか。上記で見てきたように、単にベッドの色が変わるだけでなく、機能が変わり、一般の医療の供給水準は低下します。その時、「コロナが全てじゃないでしょう」と考える医師や看護師たちが(補助金でなく)使命感から発する異議は、正論でもあります。コロナ対応という「正論」と、コロナ以外もという「別の正論」のバランスをとって、病院の中の体制を構築できるのか

開業医の方も他人事ではいられません。受け持ちの患者が悪化しても、地域からコロナ以外を見るICUや救急救命の病床がなくなってしまうからです。

そもそも危機につよい医療体制にするには、その地域の開業医たちがそれこそ都道府県のリーダーシップのもと大病院だけでなく、開業医たちも含めて、一体的に医療の力を集結させ、コロナとそれ以外の医療の力をどう配分したらよいか、バランスの取れたポートフォリオを構えた方が、完璧でないにせよ持てる力を最大化できます。

政治に欠けていた「リアリズム」

ただ、日本医師会は、開業医たちに「動員」を求めるような対策には一貫して消極的でした(逆にワクチン接種では、集団接種だけでなく開業医が一枚噛んで報酬を得られる個別接種の仕組みを加えるよう要求してすぐに実現させています。このへんは辰野濃郎さんの論文が詳しい)。

いたんだ経済とのバランスをはかるためには、コロナ対応する医療資源を集中投下した方がいい。一時期、優先順位をつけることは避けられません。

そこには割を食う一部の患者、その病気を専門にする医師や看護師たちが生じます。この、何も悪くない人たちの立場に配慮しつつも、「この一時期は●●の検査を取りやめて✖︎✖︎の手術を遅らせてください」という判断に資するざっくりしたラインを設定し、言い切る必要があるのです。この仕事は、民主主義によって選ばれた政治権力がやることが現場の当事者たちにとっても安全弁となります。ところが、実際には、そこに踏み込まず、現場にその苦渋をゆだねている。

マスコミ報道「一元化せよ」への物足りなさ

行政の「幽霊病床」という言い方にも、メディアの「一元化して調整せよ」という一般論にも物足りなさを私が感じるのは、このあたりです。取材した記者たちは分かっていても、「正義の優先順位をつけていないぞ」というドスの利いたリアリズムに踏み込まず、「訪問医療の先生たちの奮闘記」という美談にお茶を濁してしまう。

これまで厚労大臣は「なんとか病床確保にご協力を」「ご尽力に感謝を申し上げます」といううわべだけの話に終始してきましたし、医師会もメディアの前で建前論で済ましてきました。頑張っている先生がたや看護師たちが立派であることは論を待ちませんが、美談を消費しているだけでは、感染対策はよくならないのではないでしょうか。

国民目線に立場、有事と平時をわけて、有事には「正義(医療)に優先順位をつける」こと。このあたり前の政治の働きを怠れば、いくら「感染拡大時の病床使用率8割を確保する」と掲げてみたところで、絵に描いた餅で終わってしまいかねません。

さて、選挙です。令和元年度の国民政治協会の収支報告書によれば、「日本医師政治連盟(日本医師会の政治団体)」の自民党(国民政治協会)への寄付額は2億円と自動車工業会をおさえ最大です。また、小池百合子都知事が自民党東京都連の反対を押し切って16年に都知事選に挑戦した際、自民党支持一色だった業界団体の中で、最初に小池支持を打ち出したのは、東京都医師会でした。

国と東京都の指導層と日本医師会、東京都医師会の馴れ合った関係が、対策のフレームワークに強弱をつけられない最大の病巣ではないか、という見立ては私のうがち過ぎでしょうか。正義と正義の矛盾に政治が毅然とした態度を示してこなかった、という反省がなければ、同じことは間違いなく繰り返されてしまいます。

ぜひ、選挙を通じて、地元の政治家の先生の主張に耳を傾けるとともに、適切な権力行使がされていなければ、ぜひ政治家に直接に伝えてほしいと思います。[了]


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