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戦車の残骸から拾える物 5月8日 ブチャ・ボロディアンカ

10:30 出発
今日も運転手ヴィクトル、と通訳ヴァレリヤの二人と一緒に車で移動。
朝飯は食べたと聞かれたので、「じゃあ昨日と同じところで、、、」と答える。二人にちょっと申し訳ない気もした。

ガソリンスタンドのイートインで昨日と同じハンバーガーを食べたあと、また昨日に続き、再びキーウ近郊、ブチャへ。
「死の通り」とも言われた、ヤルブンスカ通り(りんごの木通り)を歩く。
ロシア兵による虐殺が行われたと言われ、ほんの一ヶ月前まで無数の遺体が路上に横たわっていた一本の通り。
今は片付けがかなり進められていて、時折、車が走り抜けていくだけの静かな通りだ。通り沿いでは破壊されている家もかなりある。戦車の砲弾だと思われる。住宅の鉄の門に銃痕が残る。戦車そのものが突っ込んだ跡もある。歩道の路面はキャタピラの走った跡があり、アスファルトが削り取られている。

通りがかりの男性は「友達も殺された。自分もここを撃たれたんだ。」と左肩に手を当てて言い、去っていった。

ヤブルンスカ(りんごの木)通り

静かな道沿いに、桜に似たチェリーの花びらが風で舞っている。新緑にたんぽぽ、植え込みには赤いチューリップが咲く。初めてウクライナを訪れたのが3月3日。あの頃は毎日、雪だった。忌まわしい記憶を一刻も早く消し去りたいかのように、新しい季節が着実に訪れている。だが被害を受けた住民らの記憶は消え去ることはないだろう。ウクライナの民間人はこの小さな町で少なくとも340人が犠牲になっているという。

移動中、破壊されたロシア軍の戦車が集積されている空き地を通りかかった。戦車の墓場だ。

炎上して塗装が剥げ、早くも錆び始めている戦車は、歩兵携行式多目的ミサイル・ジャベリンで攻撃されたのか、車体の上に穴が空いている。
子連れの男性が、戦車からなにか値打ちのものがないか漁っている。金になる銅線を探しているのだろう。
別の男性は、薬莢を拾い集めていた。
たまに人が来て、スマートフォンで写真を撮り、去っていく。
この空き地の周りは畑が広がり、天気がよくて暖かく、目の前の戦車さえなければ牧歌的でもある。
装甲車の中には兵士のものらしい古いブーツが片方だけ残っていた。
ブチャでロシア兵が何人死んだのかわからない。

戦車の墓場

ボロディアンカへ移動。
集合住宅のいくつか、というよりかなり多くの数が破壊されている。
ミサイル攻撃を受けた集合住宅は真っ二つに割れたように建物の中央が無い。
部屋の断面がそのまま残っていて、上層階にキッチンの断面がそのまま見える。
ある部屋では本棚もそのままになっているのが下からわかる。

集合住宅

集合住宅で片付けをしていた女性に話を聞く。
3階にある彼女の部屋はミサイルの直撃こそ免れたが、爆風で窓ガラスが吹き飛び、コンクリート片が飛んできて部屋の中はもうボロボロだった。
「全て吹き飛び、多くのものを失った。大切なものもあったけど、夫と子供は無事です。それだけが救いです」と言っていた。

自宅の後片付けをする女性 ボロディヤンカ

隣にあった小学校も窓がすべて吹き飛び、子ども用のロッカーも散乱していた。
同じくコンクリート片かなにかが飛んできて、教室の壁に無数の傷をつけていた。

どこもかしこも黒焦げの風景に、気持ちも少し疲れてきたなと思ったら。
ヴィクトルがコーヒーショップが営業してるぞ!と見つけてきた。
暗い店内に多くの人が出入りする。水は来ていないらしく、わざわざスーパーマーケットから買ってるのだという。
ヴィクトルはミルク入りのコーヒー、ヴァレリヤは紅茶を飲んでいた。

ウクライナの各地で見てきた詩人タラス・シェフチェンコの胸像が市庁舎前の広場にあった。
胸像の額に銃弾が撃ち込まれていた。

タラス・シェフチェンコ像

きょう5月8日は欧州での終戦記念日。
広場ではウクライナ軍の楽隊が、演奏していた。知らない曲がほとんどだったが、ABBAのダンシング・クイーンや、マイケル・ジャクソンのBEAT ITも演奏していた。

演奏が中断され、カメラに囲まれた男性が胸像の前に現れた。
なんか見覚えがあるな、、、と思ったらイギリスのロックバンド、U2のボノだった。
曲は知らないのだが、iPodかなにかのコマーシャルでなんとなく知っていた。
後で知ったがキーウの地下鉄で小さなコンサートをやっていたらしい。そのあとの視察だろう。
シェフチェンコ像の前で記者会見。
運転手のヴィクトルは元テレビカメラマン。この時も大柄の体格を活かして自前のカメラで最前列で撮影していた。

U2 ボノ氏

もう午後5時ぐらいになっていたが、季節が変わったせいでまだまだ明るい。
ボロディアンカから離れ、郊外の村へ。
たんぽぽや菜の花があちこちで咲き、道沿いに小ぶりの民家が立ち並び、小さな畑もある。
民家の合間に平原が広がる。ヤギや馬もいる。
本当に美しい村だ。黒く焦げた民家がなければだが、、、。
オーザルシナ村というらしい。
こんな村にも戦車に乗ったロシア兵がやってきたという。
4月上旬、ウクライナ軍がロシア兵を追いやると、今度はミサイル攻撃が始まった。
この村はおよそ100軒の家があり、32発のミサイルが着弾し

路上で休んでいたおばあさんは
「攻撃が始まり、庭にある地下室(貯蔵庫)で生活していたが、怖くなって別の街へ逃げ出した。
落ち着いて戻ってきたら家が徹底的に破壊されていた。
私はこの村で生まれた。もうほかに行くところもない。
いまも地下の貯蔵庫で寝泊まりしている。
またロシアの戦車が来るのではないかと思うと、とても怖い。」と涙ながらに話していた。

地下の貯蔵庫といっても整備されたシェルターではない。ウクライナの田舎の家の庭によくあるという、じゃがいもなどの野菜や漬物を保管しておく貯蔵庫である。地面は土むき出しで、そこでの生活はそうとう堪えるだろう。

彼女の自宅前の路上にはロシア兵のものと見られるオリーブグリーンのシャツや帽子が泥に塗れて落ちていた。

その後、自転車に乗った通りがかりのおじいさんが「とにかくついてこい」というので追いかける。
案内されたのはおじいさんの畑の奥で、高く土が盛り上がっている。はじめ見たときは、なんなのかわからなかった。近づくとそれは巨大なクレーターだった。直径は約20m、深さは約8m。
4月6日にミサイルが落とされたという。
周辺にはミサイルの破片らしき金属片が散らばっていた。なかにはICチップまであった。
まわりを見渡しても平原である。
おじいさんも「なぜここに落としたのか、目的がわからない。」としきりに言っていた。

とはいえ、ミサイル攻撃のクレーターそのものは、もう珍しいものではなくなっている。
ボロディアンカでもそこかしこに路上に大きな穴は空いている。小さな橋もミサイルで破壊されている。

ただ、こんな何もない一面の畑というか、平原のようなところにミサイルを落としているのは初めて見た。
なにがしたいのか、全くわからない。

まもなく午後8時。
まだ明るいが、滞在しているアパートの近くのスーパーが夜9時閉店なので、急いで帰る。

文章が苦手すぎてこんなのを書くのにも1時間もかかってしまった。。。

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