見出し画像

【ライン越えシリーズ】下北沢の墓場

『下北沢の墓場』
私にはスター性がありませんでした
あの人は言った
「自己を表現出来れば、
表現方法は問わない。」
下北沢の墓場で、泣いている私は誰?

キラキラしてたあの子
ギラギラしてたあの子
みんな、お星さまになっちゃった
キミは誰?

何処へ向かうの、教えて
置いていかないで

私にはスター性がありませんでした
あの人は言った
「自己を表現出来れば、
表現方法は問わない。」
下北沢の墓場で、泣いている私は誰?

象の墓場を目指して
辿り着いたこの場所で
無い「自己」を探して、心臓を抉った

私にはスター性がありませんでした
あの人は言った
「自己を表現出来れば、
表現方法は問わない。」
下北沢の墓場で、泣いている私は誰?

うるせえよ、死体ども
<お星さま性>なんざいらねえよ
──「さぁ、踊れ!」



本日のくだらないお日記(2024.5.20)
かつて、とある女の子が、ある変わった塾に通っておりました。
そこでは、自主性を重んじ、勉強そのものよりも、思考力を高めようというコンセプトを掲げておりました。

そんなコンセプトから、その塾では、毎年夏合宿というものが行われておりました。
夏合宿では、勉強は一切しません。
宿題をやる子はおりましたが、一切強要されませんし、むしろしなくて良いとすらと言われます。

では何をするかといいますと、廃学校の校舎でサバイバルをするのです。
ドラム缶で風呂を作り、薪を割って火を起こして風呂を炊き、米も薪の火で炊きます。
体育館に大量の敷布団をひいて、男女も大人も子どもも関係なく一緒に寝ます。

その夏合宿は、平均して十日間行われました。
とある女の子は、その合宿に、小学生の頃から参加しておりました。

これは、その女の子のトラウマの話です。

その塾は、元々は哲学の先生が経営しておりました。
しかし、その哲学の先生が歳をとったため、息子さんに塾の経営を引き継ぎました。

つまりその息子さんが、後に、話の主人公である女の子の担当の先生になる人です。
息子さんは、映画や演劇を好む、アーティストタイプの方でした。

息子さんは、やがて夏合宿の企画も担当するようになりました。

ここで重要となるのが、夏合宿に参加するのが、子どもだけではなかったことです。

実は、この夏合宿、大人たちの本気の遊びの場でもありました。
大人たちの本気のキャンプを、子供たちに見せて教育してやろう。
大人たちが本気で遊ぶところを見せたら、子どもたちも何か触発されて、思考力が育つであろう。
そういう意図があったのですね。

息子さんが主な企画者であるために、
夏合宿には、アーティストタイプの息子さんのお友達や、知り合いが大量に来ていました。
つまり、アーティストタイプの方々が沢山集まりました。

そして何が行われたかというと。

子どもたちの「鑑賞」です。

そこで行われていたのは、

子どもたちのスター性を比べて、楽しむ遊びだった。

とある女の子には、主張したいほどの自我が、まだありませんでした。
とある女の子には、その場の大人たちに気に入ってもらえるようなスター性がありませんでした。
女の子は、スター性のある女の子と隣に立って、スター性のある女の子が注目されて嬉しそうにしているのを見て微笑んだ時、「誰もあんたのこと見てないのに何笑ってんの?」と言われました。
女の子は、行事でやる劇で、一度も主役を貰えないどころか、演じ方についてセンスがないと笑われました。

女の子は、将来ネイルモデル、ハンドモデルとしてお金を貰えるようになる手を、「仕事してない手だね」と笑われ貶されました。
女の子は、将来沢山の人に可愛いと言ってもらえる容姿を、アイドルに似ていると表現されました。「そんなに可愛くないです」と謙遜したら、そのアイドルが可愛くないと言われている部分が似ていて、お前が可愛いなんて一言も言っていないと笑われました。上げて落とす。

はい。これ、ちょっと被害者面して書き過ぎてるけど、全部実話。
当時は怒るってことを知らなかった。大人が正しいと思ってた。
何なんこの話。地獄か?

で、その人らは、みんな下北沢で売れねえ映画撮って自己満足してた。
そいつらの言うスター性なんて、世間じゃ何にも評価されてなかった。
クソの塊みたいなところで、クソどもが自分にはスター性ある〜って踏ん反りながら、文字通りお星さまになっちゃってた。

大人になった女の子がどう思ったか?
そりゃ、吐くほど笑ったでしょ。
滑稽過ぎて。

下北沢の墓場の死体どもが、他人に伝えようと努力しようともせず、自己中な「自己表現」によって百均の玩具みたいにキラキラ輝いてんの死ぬほどウケるわ。

って、怒ることを覚え、世間を知った女の子は、殺意を抱くような子に変わってしまいました、と。
あーあ、優しくて純粋な子だったのにね。

これの何がトラウマか、って、傷つけられたことじゃないんだよ。

女の子が、持っていなかった殺意を持ってしまったことだよ。

まぁ、幸運にも女の子は法律を遵守するタイプでしたし、他人を傷つけることが好きじゃなかったので、
こうやって曲にして笑うくらいで済んだわけなんだけど。
正直、殺しに行くのも馬鹿馬鹿しいわな。

でもやっぱり、思い出してみると、
自己表現しろ、自己表現しろ、って言いながら、
否定して、枠に押し込めて、
しかもその枠が何の実用性もねえって、
あいつら本気で腐ってたよ。

って、思うからこそ、
いま自己がないって思う子に、焦んなって言いたいし、
絶対そのうち見つかるって保証してあげたいし、
自己があるって、良いことだけじゃなくて、
他人と合わせられない自己だか持ってても、目立つかもしれないけど人気にはなれないから、
ちゃんと考えて自己を表現していかなきゃ負けるぞ、ってる話もしたい。

ちゃんと、ちゃんと尊敬出来る人を見つけて、
ゆっくり自分のペースで、自分ってものを丁寧に作り上げればいいだけなんだよ。
魅力ない子なんかいないんだから。
絶対、どっか伸ばせるところがあって、絶対ちゃんと考えながら動けば本物の、腐ってるお星さまじゃないスターになれるんだから。
スターって、ただ他人から承認欲求満たしてもらえるだけの言葉じゃなくてさ。
誰かを感動させたり、幸せにしたり出来る人のことだろ。
星って、本来死んでる奴って意味じゃなくて、綺麗なものって意味なんだよ。
そう大人になった女の子は、信じてんだよ。

他人の言うスター性なんて、結局ほとんどがただの好みだ。
最終的に、本気でスターになりたいなら、他人のスター性の概念をぶち壊すくらいのものじゃないといけないと思うし、
従ってたって、好かれたって、駄目なときは駄目なんだ。
だから、考えろ。
ゆっくり、ゆっくり考えて、本物の、他人依存じゃない自分を作り上げろ。

それで、承認欲求を満たすだけじゃなくて、本当のお星様みたいに、誰かに感動を与えられる人間になってやろうよ。

つって、女の子が編み出した技術が、
死ぬほど楽しむこと。
売れなくても食えなくても死ぬほど楽しむ。
楽しければ頑張れるから、技術も思考力も伸びていく。
死ぬほど楽しいと思える方法を見つけられたら、他人にも伝えれば役に立てる。
死ぬほど楽しいから、他人にも楽しくなってもらいたいと思う余裕ができる。
死ぬほど楽しいということに、命をかけて、
恨んでるやつ殺すとか醜いことしてないで、美しく美しく踊ってやろうね、って思った。

自分を評価してくる奴らの上をいくしか、逆に評価してもらえる方法ってない。
もっと伝わる最高のもんを作ってやるしかない、じゃあ狂気的に楽しむ。そしたら狂気的に頑張れる。

とある精神科医は言いました。
頭の中でなら人を殺しても良い。
本当に手を出さなければ。

頭の中で人を殺さず、優しく丁寧に、ひたすら純粋に、受け身に生きてる子と、
頭の中で人を殺しながら、この世に何か新しいモノを生産する狂人。

女の子はいつからか、狂人の方に惹かれるようになり、
イカれてても良いから何かを生産する人間でありたい、と思うようになりましたと、とさ。

果たしてこれって、良い話なのか悪い話なのかどっちかね?

でも、あのままだったら女の子は、自殺してたよ。
今、女の子は強く生きてるよ。

さあ、良い話、かなぁ?
誰かにとっては笑える話かもね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?