日記『寂しさ』2019.10.03



酷く悲しい。誰のせいでもない。たまに、悲しい記憶が疼く。何時どんな状況を、何を思い出しても、何処を思い出しても独りだ。多分これは一生変わらない。記憶の中に誰かを残しておけない。時間をかけて考えれば、人がいたような気がする。けれど思い出せない。思い出すのは、薄暗い店の中と、姿の見えない店員のききとれない声だ。作業の雑音がしている。自分の周りだけがぼんやりと明るい。くすんだ匂いがする。誰とも同じ世界を生きている感じがしない。すれ違うだけ。動いている人たちが居て、何か話しをしているのはわかるのに、交差しない。これからもそうだ。寂しいのは、きっと一生だ。それでも別にいい。この匂いと、感覚さえ覚えていられたらそれで。死ぬときに、好きだったこの感覚を思い出せたらそれで。こんなに人が沢山いるのに、どうして寂しいのだろう。交わっているはずなのに、どうしてそれを感じられないのだろう。独りだといつから感じ始めたのかわからない。それ以外が怖いだけかもしれない。過去には誰かがきっと、周囲にいたはずで、記憶ではそれを覚えていて、感覚では忘れている。多分、もう思い出せない。温かかったとか、笑ったとか。これからも忘れていくなら、そんな辛い未来はないのかもしれない。まるで病気みたいだ。何もかも忘れてしまう、そんな病気。何もかも覚えているから、口で説明できるから、誰とも共有できない。健康で正常な毎日のなかに、友達のように顔を出す寂しさが悲しい。寂しさと友達になる、独りじゃないことに気付く、そんなのは多分、無理だ。だって覚えているから。何もかも覚えていて、何もかも正常だ。この感覚だけが病気だ。忘れてしまっている。それをまた忘れてしまう。お互いにまた寂しくなって、あの匂いのなかに閉じ込められて、たまに酷く悲しくなる。それも多分、正常な日常なのだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?