瞑想の奥にみえたもの

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 2021年

 3月に入った。のどかな朝、久しぶりに朝からバスタブにお湯を溜めて入浴を楽しむことにした。お供は、ジョー・ディスペンザ著「超自然になる」。簡単に説明すると、望むビジョンを現実化するための瞑想法について書かれた書籍だ。内容はとても興味深くて読んでいるとワクワクするのだけど、何故だかなかなか読み進めることができず、ゆっくりリラックスできる時間を取って読んでみることにした。

 朝からのんびりお風呂に入りながら読書するような日常を過ごしているが、実はいま、人生でそう何度も経験することがないような転機にいる。歳は50代後半。コロナの影響でもないのだが、まぁ巷では若干話題にあがっている「離婚」準備中なのだ。
準備というのも変な話だけど、財産を現金化し、夫と息子と私の3人がこの先どこで暮らすかが決まってから正式に別れましょうという流れになり……。というわけで、いままでのようにパートや家事もやりつつ、断捨離や自宅の売却や自身の新しい家探しをしている。

 そういった物理的な作業をしていて日々感じるのは、ひとつひとつの行動が自分の心と向き合う作業だということ。何かをする際に、自分の心を感じながら行動してきたのか?と振り返ってみて、なんとなくやり過ごしてきてしまったことに氣がついた。

 溺愛(笑)している息子は、これを機に一人暮らしを始めたいと、早々に家を決めて契約を済ませ引越し準備中。私は、息子と離れて一人になることへの心の準備が必要で、家じゅうにあった家族写真や息子の幼い頃の写真を整理しながら、子離れについてや、パートナーシップについて思いを馳せる。
いままで暮らしていた家を手放すことだってそう。怖くて不動産会社に連絡することすらできなかった状態から、なにが怖いの?本当はどうしたかったの?これからどうしたいの?と内面をのぞき込んで、丁寧に感情と向き合い、折り合いをつけて、自然に動けるように自分を促す作業を繰り返している。

このように、日々あがったり下がったりするメンタルと向き合いながら
「今後の人生をどうやって自分らしく設計していくか」
というテーマに日々の暮らしを綴ります。

 いま私が目指しているのは「自給自足」。2年前にであった自然農を通して、自分でつくることの楽しさと難しさ、充実感、氣持ちのよさを経験した。
それまでの生活は、知らず知らずのうちに誰かが敷いたレールの上を歩かされていて、実は生活のすべてがそのような構造に組み込まれていることに氣がついてしまった。雑誌で素敵な写真をみれば服が欲しいと思い(わされ)、タレントが美味しそうなものを食べているのを観て食べに行きたいと思い(わされ)、病気は医者しか治せないと思わされる。幸せはすべて外側にあって、お金がないとそれが手に入らないという幻想に踊らされていた。

「誰にだって自分で欲しいものを生み出せて、そして本当の喜びもそこにある」
「自分の内面を反映させて、自分の世界を創られる」
そんな仮説を前提に、これからの人生を再構築中。

そんな私の人生をかけた人体実験的な記録を配信していく予定です♫


 さて、前述の話に戻ります。
お風呂で本を読み始めたときに、私の中からふいに “なぜ瞑想するのだろう?” という問いが湧いてきた。その直後、小さな子どもが「立派な人になるの」という声が聞こえ、そこから広がったビジョンは、幼い頃に伯母と銭湯に行ったときの光景だった。

 私には背中に大きめのホクロがある。しかも肩甲骨の両側のほぼ同じ位置に、対になるようにひとつずつ。それを見た伯母が言った「この子は将来大物になるわ」という言葉が忘れられず、何か行き詰まりを感じた時などに「きっといつか成功する」と、私を勇気づけてくれていた。
でも、今日は違った。純粋で無垢な幼い私は、
(いつか立派にならなければならない。成功しないといけない)
と思い続け、いつしかそれは強迫観念のようになり、いつも心の奥に“焦り”となってくすぶっていた。支えてくれていた言葉に苦しめられていたなんてね(笑)。

 人は成功を望み、そこに辿り着こうする。だけど、成功っていったいなんなのだろう。
お金や資産を持つこと。社会的な地位を得ること。人に尊敬されること。仲間や友人が多いこと。たくさんの物を持つこと。美味しいものがたくさん食べられること、etc。
私の勝手なイメージだと「成功=物理的な豊さ」を連想し、きっとそれを得たら幸せになるに違いないと思い求めている。それならば「成功=幸せ」の筈だけど、残念ながら「物質的な豊かさ=幸せ」ではない。

成功なんていう概念を外して、純粋に「自分にとっての幸せ」って何?ということを、解像度を上げて追及することが、結果的に成功に結び付くのではないか。。

 

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