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【第7話】大2春、走り出した足が止まらない

どうも。川瀬です。

緊急事態宣言の解除、とは言うもののどれほど活動していいのか分からないですよね。急激な生活の変化はストレスになりかねないので上手に対応できるよう自分のやらなきゃいけないことはすっきりさせておきたいものです。

さて、前回は1年生の冬について書きました。

今回は2年生の春シーズンの話です。
順調に冬季練習を積めた僕の2年目の目標は、
・関東インカレ3000mSC出場(標準記録突破とチーム内選考で勝つ)
・5000mで14分台を出す
・箱根駅伝予選会出場、チームに貢献する
でした。

まずは5月の関東インカレ(以下関カレと省略)に出場するため、3000mSCを中心に試合に出て行く。
3月27日 3000mSC:9'24"93
4月2日 5000m:15'00"51(自己ベスト15秒更新だけど惜しい!!!!)
4月17日 3000mSC:9'16"71(爆風の中だったが関カレB標準突破)

そして5月1日第3回筑波大競技会(関東インカレ学内選考会)、9'08"27というA標準を切れないながらも5秒ほど自己ベストで勝利を勝ち取り関カレへの出場が決まった。

5月20日、待ち望んだ関東インカレ予選。
2組で行われ12人が決勝に進む。僕は2組目だ。
1組目がハイペースで進んだため、2組目はスローペースの着順取りの展開に。
当時レースを動かせるだけの力がなかった僕はスローペースに合わせて走る。1500m通過あたりから一気にペースが上がり、対応するものの9'09"04の7着で予選敗退に終わった。

決勝には行けなかったし、思うようなレース展開もできなかった。力不足を痛感させられたし、それでもあと2人で決勝に行けたと思うと悔しくもあった。しかしやっと戻ってこれた気がした。やっと戦いの舞台に戻ってきた。やっと高校生の頃から1歩進めた気がした。

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関東インカレから2週間後の日体大記録会で10000mに出場した。(31'17)
当時新入生の金丸が入学早々29分台で走り全日本駅伝予選会への出場が一気に近づいたため、自分もタイムを出すため出場したが自分含めチーム内みんな凡走に終わった。

言い訳でしかないのだが、3月末の記録会から10週間で6本のレース、そして勉強の方では関東インカレ1週間前から6週間毎日ご遺体の解剖を行う解剖実習が始まっていたため、心身共に疲弊していたのを覚えている。その後1ヶ月の練習期間を経て春シーズン最後の試合となる記録会(5000m)と、六大学対抗選手権(3000mSC)に臨む。

7/7 5000m 14'43"45(自己ベスト16秒更新)
7/17 3000mSC 9'01"40(自己ベスト6秒更新)

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と共に大幅自己ベストを更新し、波に乗ったまま乗り切った春シーズンであった。そしていよいよ箱根駅伝予選会に向けた強化期間に入って行くのであった。

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・振り返り
1年目をブランクと怪我で棒に振ってしまったが、冬にはきちんと土台を作ることができ、いよいよ大学生としてシーズンに臨むことができた2年目の春でした。土台ができているから練習が積める。練習すれば自己ベストが出る。走れば走るほど足が速くなる陸上をやっていて1番楽しい時期でした。
ただ高校時代漠然と感じていた伸び代をそのまま使い切った感じです。しかしこれ以降、何も考えずに速くなれると感じることは一度もありませんでした。やっぱり頭を使わないとダメです。

それに気づく前の最後の瞬間でした。
それにしても5000mのタイムに対して3000mSCが強すぎますね笑 

さてチームとしては金丸が入学し、一気に10000mの平均タイムが伸びたことで途中目標がブレたところもありましたが、7月7日の記録会では出場者の多くが5000mの自己ベストを記録し、良い雰囲気で夏合宿に入っていくことになります。

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果たしてこのあとどんなことが起こるのか。。。
次回は秋シーズンについて書きます。
緊急事態宣言が解除されそうですが、自粛期間はいつまで続くのか。解除される前に箱根駅伝が狙えそうになった辺りまで話を進めたいです笑
頑張ります!!




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