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鏡はなぜ左右が逆になるのか? - ヒトは鏡に何を見るのか? -

【鏡】 

鏡。普通の真っ平の1枚のピカピカの金属板やガラスの裏に金属をメッキしたり蒸着したりした鏡ですが光学的には光をほとんどロスなく反射するものです。

光の反射では、鏡面に対する光の角度が入って来る光と反射後に出ていく光とで必ず一緒になるので、ちょこちょこっと図を書くと分かるけど、鏡の前に何か置いて見ると鏡を基準にして奥行きが逆転した状態の「鏡像」が映って見えます。(鏡像ってどんな位置にどのように見えるのかは「見たまんま」で十分でしょう)

この鏡像はいつも(上下はそのままで)左右が逆になっているのが「不思議」ですね。

ヒト以外だと、そもそも「左右」は感じているだろうが区別して認識できているのか、実験などもされていると思うけど寡聞にして知りません。

そのあたりは未確認ですが、よしんば左右という一般的な区別を認識しているとして、たとえばチンパンジー、イルカ/クジラ、イヌ/ネコ、あるいはカラスあたりでも、ヒトと同じ「不思議さ」を感じるのかというのは気になるところです。

次の映像を見ると動物達は目に映る情報から何か自分と同種のものがいるという程度の認識はしていると思われ、多くは縄張りに入ってきた敵とみて威嚇、あるいは攻撃のような行動をしているようです。(「動物」「鏡」で検索するといろいろ出てくる)


https://www.youtube.com/watch?v=uPkdMzNlw70
https://www.youtube.com/watch?v=xNTFlapzr4Q
× https://www.youtube.com/watch?v=kG_QhttG6jo

ヒトにとって左右が逆になる理由は皆だいたい分かっていると思うけど、簡単な思考実験で再確認できるので試してみましょう。今ではスマホとかデジカメとかタブレットなんかでセルフィー[自撮り]が簡単にできるので、これを使います。

まず、透明なガラスの向こう側に自分と同じ等身大の像を置くことを考える。

【A. ガラスでの確認】

(垂直に固定された大きなガラス版、大きな窓や単なる枠、床に引いた線だけでも代用可)

1. 左右非対称のポーズで自撮りして撮れた写真を確認する。
 (例えば英文入りのTシャツを着て右手でピースサインをしている姿)
2. その写真を等身大でプリントして作ったパネルを2枚用意する。
3. そのパネルの1枚は、ガラスの自分側に自分と並ぶように立てる。
4. もう1枚のパネルは、ガラスの向こう側にこちらを向くように立てる。
5. ガラスの向こう側のパネルの像は自分と同じであることを確認する。

次に、鏡を用いていつものとおりの確認をする。

【B. 鏡での確認】

(垂直に固定された大きな鏡、普通の姿見などで十分)

1. 先ほどのガラスの隣に大きな鏡を用意する。
2. 先ほど自分側に立てたパネルと一緒に鏡の前に横に移動する。
3. 鏡に映っているパネルの鏡像が左右逆転していることを確認する。

さて、AとBとを比べると(よほど捻くれた人でない限り)「左右が逆である」ということになっているはずです。 

ここで自分の動作を振り返ってみましょう。

Aの4で等身大のパネルを向こう側に置くときにどうしているか?

くるりと回転させている。しかも、縦の軸で。つまり左右が逆になるように。

このときたまたまダイビング中とか宇宙遊泳中だったとしても、ヒトはおそらく逆上がりするときの鉄棒軸の方向に回転させはしない。

地球上の生命体、動植物は重力などの影響を受けて大抵は上下方向があるようだし、特に動物のボディプラン(体の基本的な構造)に着目すると、放射状生物や海綿などごく特殊な例を除いては左右対称という形態になっている。

おそらくヒトもこの制約から鏡の向こうに自分を投影する際の移動や回転の軸が縦軸に固定されてしまっていて、そこからちょうど左右だけが逆転したように感じるのでしょう。

なお、ヒトは図形や文字、絵画というものも認識しますが、これの鏡像認識も考え方はまったく同じです。たとえば、自分の後ろの壁に掛かっている時計の文字盤の針や数字は鏡に映ると左右が逆になって裏返っているように見える。

簡単な確認方法としては、次のような思考実験でよいでしょう。実際にやってみるのも一興です。

【C. 半透明の紙と鏡での確認】

(無地のクリアファイルや透明な下敷きなどで代用可)

1. 大きな鏡と壁の間に立つ。
2. 半透明の紙に枠を付けたもの(ペラペラでない半透明版)を用意する。
3. その紙に、アラビア数字の文字盤と長短針を持つ普通の時計を描いてみる。(時刻は針の位置が上下左右とも非対称になる2時ぐらいがいい)
4. 描いた時計が紙の裏に透けていて、透けた時計が鏡に映っているのを確認する。(その鏡像は、描いたものと同じ時刻で数字も正しく読めるはず)
5.自分の後ろの壁にその紙を壁掛け時計のようにして貼る。
6.鏡を見て、貼った紙の鏡像は左右が逆転して文字も裏返しになっていることを確認する。

もうお分かりのとおり、Cの5で壁に紙を貼る際に振り返る(つまり紙を回転させる)軸は、やはり左右が逆転する縦軸です。

自分自身の動きを逆回しにすると分かりますが、自分が想像している鏡の向こうにある自分やモノの姿は、左右が逆転する方向、つまり縦軸で回転させている元の姿に過ぎなくって、その期待像と鏡が反射によって自分やモノを映している実際の鏡像とのギャップを感じることで「左右が逆転している」と認識して不思議がっているんですね。

これで最初の命題については、おしまい。ここから少し副題に関連しての考察です。

動物は鏡の向こうに同種の個体の存在を感じたりするようですが、ヒト(あるいは霊長目、特に類人猿ぐらい)は鏡の向こうの他者を、自己を投影したものとして認識しているのではないでしょうか。だから、頭の中で自分の動きを逆回しにしたようなプロセスが働いて、鏡の向こうにある個体を縦軸で回転させた自分自身として認識してしまう。でも、実際に目に映る姿は面対称なので不思議がる。これは目の前の個体に自分を投影しないと起こらないことです。

自己を他者に投影することができる、つまり他の人を自分に引き寄せてまるで自分のことのように感じたり、自分と同じだろうと思い込んだりするというのは、他者を単に同種の別の個体として見るのとは大違いです。

他者である個体を自己の投影として認識するような知能を持っているヒトは、他者の痛みも自己の痛みとして感じて憐憫や同情の感情が湧き上がるでしょうし、逆に自己と他者とを比較して例えばリア充を見て妬ましく思ったり格差というものを強く意識して憎悪を抱いたりすることもあるのでしょう。

嫉妬(jealousy)と妬み(envy)とは似ているが昔から区別も試みられています。

よく言われるのは、「嫉妬」は自分のものと思っているものが奪われそうなときに湧き上がるもので、ヒトの乳幼児や動物なども親や庇護者の「愛情」という資源を奪われそうになるときに感じる。

片や「妬み」というのは今は自分にはないけど欲しいと思っているものを、それが経験や境遇という抽象的なものであったとしても、他者が持っているということに対して湧き上がる感情のことです。

動植物、生命体は普通に生態系の中で太陽光や水、食料、あるいは最適な温度の場所や時間帯など環境に関わる様々な限りある「資源」を奪い合って生きています。群れの中で弱者である個体においては、庇護者の愛情も重要な資源のひとつなのでしょう。だから愛情が奪われそうになると嫉妬する。

ただ普通は特定の種の個体群において必要な資源が潤沢であればそれ以上は求めない。しかし、ヒトという種はそうした状況においても求めてしまう特殊な動物なんでしょうね。

人間の妬みもかなり原始的な脳内のメカニズムによって産み出されるという
実験に基づく研究報告もあります。資源を巡る発露的な感情の「嫉妬」から
より思索的な感情である「妬み」へと進化したのかもしれません。

▼放医研「妬みや他人の不幸を喜ぶ感情に関する脳内のメカニズムが明らかに」(2008年)

http://www.nirs.qst.go.jp/information/press/2008/02_12.html
× http://www.nirs.go.jp/information/press/2008/index.php?02_12.shtml

また、怒り(anger)と憎悪(hate)についても似たような関係がありそう。動物は縄張を冒す簒奪者に対しては威嚇や攻撃をしますが、この行動を引き起こすために原初的な「怒り」という感情が産み出され、やがてより汎化された「憎悪」という感情に進化してきたとも考えられます。

  (この件[くだり] 追記:2015.2.16)

こうした個体が群れて家族、集団、地域、社会、国を作っている。恐らく今までいろんな人がいろんな言い方でこのことに触れていると思いますが、進化にも光と影の両面があることを弁[わきま]えた上で考えていかねばならない。ヒトは他者に自己を投影することができますが、その能力によって慈悲も憎悪も生み出すことができるということではないでしょうか?

もうひとつ。

動物は同種の個体群で群れることで集団知能とでも呼べそうな判断や行動を行う。蟻や蜂の社会性は有名ですね。群れの動きを見ているだけでも集団知能のようなものを実感します。

Starling:椋鳥[ムクドリ]の群れ
https://www.youtube.com/watch?v=iITrlMn6hHE
× https://societyofbiology.org/get-involved/biologyweek/starling-survey

鰯の群れ
https://www.youtube.com/watch?v=CaLMFWb0E68

翻ってヒトも群れる動物ですし、生息域は地球上のあらゆるところに広がっていて、目の前にいない個体や個体群に対しても思いを馳せることができる。そこで呼び起される感情は慈悲や共感だったり、憎悪であったりする。

こうした群れの中や群れ同士の関係において「慈悲」や「共感」よりはるかに強い感情なのか「憎悪」の方が容易に増幅されるような気がしますし、国[くに]のスケールで考えても中枢を目指す輩[ともがら]や長[おさ]にとっては民[たみ]を煽るために利用し易い感情なのでしょう。

https://www.facebook.com/HIROMOTO.Osamu/posts/709497949144786

人類において広義の暴力をなくして平和な社会を実現し維持し続けるためには、憎悪を生み出す大きな要素である格差を少なくすることも重要なのかもしれません。民主主義などのイデオロギーを押し付けるのではなく、まずは経済的に一定水準にすることが重要であると唱える人もいて、その考えにはかなりの部分で賛同します。

この星の上で起こっていることに無関係ではいられない、そういう時代において我々にできることは沢山あります。

地球上の生命体の進化の過程で特別な種として現世を謳歌しているヒト。

その特性をしっかりと見定めてこれからの人類(ヒトの群れ)をデザインしていくことも大事でしょうが、身の回りの具体的な問題に取り組むことも意味のあることでしょう。濃い/薄い・太い/細いという関係は様々だけど、ヒトは 6 degrees、乃至は 10 degrees ぐらいなら互いに繋がっているはず。この星の上には、平和を享受し努力次第で楽しい人生を満喫したり美を愛でることができる世界もあれば、不本意どころか不条理な暴力が日常化して蔓延[はびこ]っている世界がある。そうしたことにも思いを馳せつつ、自分の取り組み方を考えてみてもよいのではないでしょうか?

鏡の話からちょっと逸れてしまったけど、奥が深いのも鏡ですから。

  「わたし、せいうちがいちばん好きだわ」とアリス、
  「だってかわいそうなかきを、少しは同情してるんですもの」
  
  「だけど、そいつは大工よりよけいに食べたんだぜ」
 
           ・・・「鏡の国のアリス」より 

#知ポタ

 日^日  2015.2.8(追記:2015.2.16)
  U   
  一   広本 治

移設元:移設後はこちらのnoteが原本となります。

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