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「世話好き」問題は、一旦解決

以前、こんな記事を書きました。
「世話好き」のその裏には、承認欲求があるという一文を目にし、もし、私の「世話好き」が承認欲求から出たものであれば残念だな。と思ったという内容です。


昔(10年以上前)、福岡に勉強に通っている時期がありました。
そこは、出来るお姉様が多くて、私は、蝶よ花よと全てお世話してもらっていました。

わからないことがあれば、何でも教えてくれるし、私のことを大切にしてくれるし、みんなで、ご飯を食べに行けば「座ってていいよ」と、あれよあれよと目の前に全てが整っていきました。

あっという間に、お姉様方が、全て準備してくださる時間。
私は、ぼーっとしてるおっとりした人に見えてたんですよね、たぶん(爆)
そこで、お姉様たちに、承認欲求は、全く感じませんでした。

最近、久しぶりに「お世話してもう」機会がありました。
これまた、勉強会での出来事ですが、その人たちも、好きでやってる働き者!という感じで、承認欲求という感じではなかったんですよね。

総合して考えた結果、承認欲求からくる「世話好き」は、ただの「世話好き」とは、違う!という結論に至りました。
私の都合のいいように解釈しているのかもしれませんが、自分の行動が相手に「世話好き」と受け取られた場合、ただの「世話好き」ということにしました。

事象は、誰が見るかで受け取られ方は、違いますもんね!
自分がやりたいことをやってたら、人になんて言われても、たとえ「世話好き」と言われても、大丈夫という結論に落ち着きました。

よく考えたら、私、実家にいるときは、ほとんど両親にやってもらってたんですよねw
母親は「家事は一生物だから、実家にいるときは、何もしなくていいよ」と言ってくれてたんです。

今は、両親と一緒に暮らしていないし、家事をやる人がいないから、ただ私が色々やってるだけで、これが「世話好き」かどうかはどうでもいいんですよね。
やりたい人、やれる人がやれば、それが「世話好き」でも、そうでなくても、何でもいいんです。

ということで「世話好き」については、私の中で一件落着です。

でも、まだまだ課題はありますよ!(ちょっと楽しい♪)
「依存」「甘える」「迷惑をかけてはならない」「相手の時間を奪う」などなど
こうして書いていると、「人との関わり方」について、私自身の「あり方」を見直す時期なのかもしれません。

2024年は、私にとっての満ち足りた人生とは、何か。人との関わりをどうしていくかを明確にしていく年なので、何だかとっても順調です。




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