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縄文の知恵はなぜ必要だったのか

縄文=平和
そういうイメージが強いですが
平和に暮らすために エネルギーを注いだのには
平和を欲していたからなのではという理由も必要になると思い始めました

縄文の古文書ホツマツタエには
戒める教えがたくさんでてくるのです

つまり 平和ではない状況がどうして起きるのかが 考察され尽くされているのです

ということは そうではない経験もたくさんしてきたという証し

きのう 早稲田大学の縄文文化の研究者の先生の講座を聴いていて思ったことがありました

その先生は縄文文化と似ているポリネシアに行き
土器の作り方や模様の伝承のことなどを調べに
何回も足を運んだそうなのです

すると ポロッと出た話が
原始宗教のようなものが現地にあり
それは 呪いや魔法のようなものだというのです

先生は何度も呪いにかけられたと言い
命があるから 大丈夫だったということですねと
笑って話してくれた

ということは 呪術が先行していた可能性もあるのかもしれないと ふと思った

祈り 禊払いは それに対応することとして編み出されたのかもしれない

祭儀用に使われた土器は すごい精密で薄く
磨きあげられ 赤い漆を塗っていたらしく
魔除けや厄除け 不浄のものを浄化する必要があったから 作られたのだろう

国宝級のものでも 一度しか使われずに
それらは 湿原など 水を含む土壌に埋められたのだという

水は霊的なものと親和性がある
土地をイヤシロチにする意味もあったのかもしれない

色々調べると 縄文の知恵がなぜ必要だったのかわかってくる

このタイトル画の絵は 5月に出版される縄文の知恵の本の挿絵の1つなのだけど

人を騙したり 惑わしたり 誘惑する存在にたいしての知恵が書いてあったので描いた

縄文の知恵は もっと哲学っぽいのかなと思っていたら 実践的で 本当に経験を通して語られて来たのだと感じた

これからも学び続けたいと思います

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