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私が編集長になった最初のキッカケ

2年前の2019年6月17日。
私は、代々木にある劇団青年座の稽古を取材しました。
2008年より、お母さん大学×劇団青年座が手がける「お母さん、芝居へ行こう!」プロジェクトの一環でした。
子育てに忙しく劇場へ足を運ぶ機会が少ないお母さんたちに、
日常を忘れ、本格的なお芝居を観て感動してもらおうという企画です。

私が当時書いた報告記事はこちらです。

お母さん大学生として、毎月お母さん業界新聞を購読し、
わたし版という自分の新聞も手づくりして200部ほどを配布していましたが、
実際にこのような取材に参加するのは初めてでした。
目の前で見た、役者さんの迫力。
あの空気感。
そして、稽古直後に行った女優佐野美幸さんへのインタビュー。
全てが新鮮でしたし刺激でした。
お母さん業界新聞が、こうしてつくられていくのだという感動と、
普通のお母さんである私が記事づくりに関わることができた喜び。

そして、取材を終えて、記事の掲載された新聞が手元に届いた頃、
編集部の編集チーフである青柳さんからお電話がありました。

「この前の取材ありがとうね。とてもよく書けていたよ。ところで、今年、実はお母さん業界新聞の横浜版を立ち上げようと思っているんだけど」。

私は、この青柳さんの言葉が何を言わんとしているのか察しました。
まだ編集長は決まっていないんだけど、誰か、いい人いないかな?という内容でした。
私は考える間もなく、返事しました。

「私がやりたいです」。

「ええ!?そうじゃなくて、うん、植地さんでもできると思うんだけど…」。

青柳さんは想定外の私の返事に言葉を失っていました。
その間本当に少しだったと思います。
私は、自分の能力や子どもたちのことや先のことなど考えもせず、
ただ、この新聞にもっと関わりたいという思いを伝えました。
なぜそんな展開になったのかわかりません。
でも、今思えば、この日から私は「編集長」になったのです。
そして、憧れの藤本さんとお仕事をしていくことになるのです。

電話を切ったあと、横にいた娘に言いました。

「ママ、編集長やるって言っちゃった」。

娘は私の顔も見ずに、

「何を話しているかわからなかったけど、何かをやることにしたのはわかったよ。
がんばって!」

と言ってくれました。
嫌な時は、嫌だとハッキリ言う娘。
娘の励ましも、私の背中を今でも押し続けてくれているのです。


お母さん業界新聞とは
 お母さん記者(MJ)が何気ない、あたりまえの毎日を発信。
 お母さんの心、「母ゴコロ」でできた、
 日本にたった一つの、お母さんに偏った新聞。
 最近ではお父さん記者も増えている。
 お母さん記者の発信はネット上にある「お母さん大学」で。
 お母さん大学とは、キャンパスは家庭、先生は子ども。
 未来のわが子へのレポートを綴り、仲間のレポートで学び合う、
 ”お母さんに還る場所”です。

お母さん大学サイトより
https://www.okaasan.net/momscourse/35761/
お母さん大学チャンネルより
https://youtu.be/BMLum6jQ5sM
百万母力プロジェクトより
https://100man-boriki.jp/okaasan-news-paper/
母の湯について
 note上につくったお風呂。
 がんじがらめのお母さんという鎧を脱いで、
 素の私になれる場所を目指します。
 入浴料は月330円。日本で一番安い銭湯の入浴料金と同じにしています。
 さまざまなお風呂を用意し、楽しみながら、「わたしをおもてなし」する場所。
 私が女将をやっております。
 https://note.com/hahanoyu






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