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「Yの悲劇」とは「読み手の悲劇」の意か?

これまで毎回序盤で読み続ける気力が萎えて挫折を繰り返してたのですが、最近、ようやく何度目かのチャレンジで読み終えることに成功した推理小説があります。題名を挙げればミステリ・ファンのほぼ全員が知っているだろうという超有名作品です。
もったいぶらずに言いますが、それはエラリー・クイーンの「Yの悲劇」です。
蛇足ですがあえていうと、過去は紙の書籍で読もうとしてましたが、今回は電子書籍のKindleで読みました。

ところで「Yの悲劇」といえば、かつては海外ミステリのオールタイムベストに何度も選ばれるなど、特に日本では名作の誉れ高い作品です。絵画でいえばレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」、ポップミュージックでいえばザ・ビートルズの「イエスタデイ」って感じの超定番作品ってとこでしょうか。

ミステリ好きを自認していながらその超定番を読了していないというのも気持ち悪いことで、「いつかはちゃんと読まなきゃ」と、長年モヤモヤしていましたが、今回読了できたので、それは正直ホッとしました。

私は「エラリー・クイーンの作品って、謎解き、いわゆる推理パズルに特化しているせいで小説としての風格や奥行きに欠ける」という先入観があって、大好きなアガサ・クリスティと比較して「読み物としてつまらない」というレッテルを勝手に張り付けていましたが、今回はそれほど嫌悪感は覚えませんでした。読む時期によってこちらのコンディションも違うし、作品のイメージが変わるのはよくあることなので、そこはポジティブに捉えて読み進められました。

ちなみに私がエラリー・クイーンの作品を初めて読んだのは小学生の頃で、子供向けに翻訳された「エジプト十字架の秘密」でした。その頃は「読者への挑戦」などというエラリー・クイーンのけれん味にワクワクし、大人向けにお高くとまったポワロ物よりむしろ大好きだったのですけど、成長するにつれ、いつの間にかエラリー・クイーンは「薄っぺらい」と思い始めました。

で、今回の「Yの悲劇」です。
これってミステリ・ファンには常識かもしれませんが、ネタバレ無しで軽く紹介すると元々はエラリー・クイーンではなく、バーナビー・ロス名義で書かれた作品です。「Xの悲劇」「Yの悲劇」「Zの悲劇」「ドルリー・レーン最後の事件」で構成されるドルリー・レーン・シリーズの一冊で、エラリー・クイーン名義の作品に登場する探偵エラリー・クイーンも出てきませんし「読者への挑戦」もありません。

ヨーク・ハッターというニューヨークに住む資産家の自殺事件に端を発するハッター家の悲劇的で奇妙な殺人事件を描いた作品です。
こういう風に紹介すると「なんか面白そう」って思う方も多いかもしれません。
たしかに舞台設定は悪くありません。
文体も懸念したほど稚拙ではありませんでした。むしろディクスン・カーほどの冗長さがあまり無くて好印象でした。

でも肝心の探偵役であるドルリー・レーンのキャラが「どうなの?」って思ってしまいました。

卓越した推理力を持つとはいえ、一般人に過ぎない元・有名俳優のドルリー・レーンが警察や検察のアドバイザーとして自由に捜査活動(というより、むしろ捜査指揮)ができるのは違和感もありますが、それはまあ古い時代のフィクションとして許容できなくもありません。
ただこのドルリー・レーンの身勝手さってのは、かなり読んでてイライラします。

手がかりをつかんでも容易に明かさず、証拠品も勝手に操作して犯人の計画に関与したあげく、無駄に悲劇を生んでしまいます。

しかも事件のほとぼりが冷めかけた頃に狂言回し役のサム警部やブルーノ検事を自分の豪邸に招いてダラダラと謎解きをするんですが、古いミステリ・ファンが絶賛する論理的な推理は「だから~としか考えられないのです」などと個人的な先入観に基づく決めつけ(「女性はこうであるはず、子供はこうであるはず」)が多く、突っ込みどころ満載で進んでいきます。
そして阻止できたはずの悲劇に関しては完全に部外者目線。
「それってあなたの判断ミスじゃないの。もう少しマシな対処法があったでしょ」って言いたくなりました。

またドルリー・レーンに関すること以外でも、事件に明らかに関わりが深いと思われる薬品類を警察が押収することもなく、そのまま放置され後の事件に使われてしまいますし、途中で発生する火事に関しても消防が出動するほどの大騒ぎだったのに、その後は特に大きなダメージも無く(ガラス瓶が割れ、物が一部壊れる程度はありますが…)出火元の部屋が使われてのちの悲劇に繋がっていきます。

結局「Yの悲劇」は、いい感じで始まるミステリーだったのですが、半分を過ぎた辺りから破綻が見えてきて、怪しくなってきます。推理パズルとしての面白さを追求しようとして物語性を犠牲にしてる感じですね。各キャラもどんどん記号化していきます。

それでも「きっと最後にレーンが快刀乱麻の謎解きでバシッと決着をつけてくれるはず」というカタルシスのみを信じて読み進めたら、前述のような肩透かし…。

これはどうしたことでしょうか。
「Yの悲劇」がなぜあれほどの名声を獲得できたのか、それこそミステリーですね。
日本にはそれだけパズル好きが多いってことなのかな?

とはいえ、めげずに次は他のエラリー・クイーン名義の作品を読んでみようかと思っています。一応、滑り止めでクリスティの作品を横に置きつつ…ね。

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