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「私」と「夢」と表現者

ユーミンである。松任谷由実である。荒井由実であるユーミンである。川田十夢が今回胸を借りる偉大なるアーティストはポップクィーン、松任谷由実である。

長渕剛同様その活動を荒井由実期、松任谷由実期、最新アルバム『深海の街』にわけて独自の開発であるシンガー・ソング・タグクラウドとその豊かすぎる川田十夢の感性とでユーミンを深く回顧し読み取ることにしたらしい。

一度松任谷由実は川田のラジオ番組J-WAVE、INNOVATION WORLDに出演している。その時の会話はこちらから読める。回顧したものの原型である。

『深海の街』はある意味衝撃だった。松任谷由実のその世界が止まることなく進化していたからだ。

そこに到達するまでのユーミンをまずは川田に導かれながら読んでいくことにする。荒井由実4枚43曲/松任谷由実34枚339曲/ニューアルバム12曲のボリュームのなか、まずは荒井由実(1972-1976):ひこうき雲 / MISSLIM(ミスリム)/ COBALT HOUR / The 14th Moon(14 番目の月) から。

荒井由実は何を歌って、何を歌ってこなかったのか?その問いにまず川田がプログラマーとして出来ることとして川田独自のプログラミングの解析法でユーミンの言葉を解析することである。そしてタイポグラフィは『』を松任谷由実の歌詞世界から浮かび上がらせるのだ。

荒井由実から松任谷由実になっても一貫して使い続ける一人称『』は『世界』を歌い続けていることを川田があきらかにする。あなたのことでもなく、僕のことでもなく松任谷由実は『』を歌う。『』は『』や『季節』や『』を歌う。つまりは世界だ。そしてこの頃『』と言う言葉を松任谷由実は使う。結婚前であるという事実と交差する部分でもあるが川田のラジオ番組で『』と『』についての変化を松任谷由実はこう語っている。

松任谷:恋について書くのは憚られる風になっていくかもしれませんね、立場とか年齢とか。でも自分では愛と言う言葉にマスキングさせて恋を歌っている場合もあるかもしれません。

女性がおおっぴらに恋を歌うのに必要なのは若さであるのは倫理感の問題だろうか。それでも松任谷由実は『』で守られた『』を歌い続けているのである。しかし、荒井由実時代を松任谷由実はラジオの中でこう語っていた。"荒井由美は茫洋としていましたね。"と。その茫洋を川田は荒井由実時代に『走る』などの焦燥感を感じさせる言葉がないことから「最初から達観していた」と表現している。「彼方」「」「」と気象と方位の言葉(厳密に言うと遠称の指示代名詞)をデビューアルバムから松任谷由実は使うことに躊躇がない。
彼方」はアルバム『ひこうき雲』に収録される「空と海の輝きに向けて」に金色の光のある場所として存在している。遠い波の彼方。永遠の輝きに命の舵をとり、お前は歌になって流れていく。という歌詞は確かに茫洋としてはいない。川田の言う達観が当てはまる気がする。個人的にはカリール・ジブランの『預言者』でオルフェーズの人々から去る預言者の乗る故郷からの迎えの船から見た光景のようだと思ってきた。そして私の中では『宇宙図書館』に接岸するのであるが、その話はまた今度。
そして川田はデビューアルバムが『ひこうき雲』で、1曲目からあの『ひこうき雲』である。死と希望が隣接している。ユーミンは最初から、完成されていたと言える。と断言する。自分の感覚を信じることのできる者だけが出来る断言である。異論はない。

松任谷由実(1976-2016):紅雀 / 流線形'80 / OLIVE / 悲しいほどお天気 (The Gallery in My Heart) 時のないホテル SURF&SNOW / 水の中のASIAへ / 昨晩お会いしましょう / PEARL PIERCE / REINCARNATION / VOYAGER / NO SIDE / DA・DI・DA / ALARM à la mode / ダイアモンドダストが消えぬまに(before the DIAMONDDUST fades...) / Delight Slight Light KISS / LOVE WARS / 天国のドア (THE GATES OF HEAVEN) / DAWN PURPLE / TEARS AND REASONS / U-miz / THE DANCING SUN / KATHMANDU / Cowgirl Dreamin' / スユアの波 (WAVE OF THE ZUVUYA) FROZEN ROSES / acacia  / Wings of Winter, Shades of Summer / VIVA! 6×7 / A GIRL IN SUMMER / そしてもう一度夢見るだろう / Road Show POP CLASSICO / 宇宙図書館

さて次は私的ベストアルバム『紅雀』から始まる松任谷由実時代である。川田は言う。デビューアルバムから完成されていたものをどうやって進めるのか、と。松任谷由実は「」を一人称に設置したまま世界を拡張し続ける。「世界」の「本当」を求めて。

川田は荒井由実時代に「季節」としていた世界を「」「」「」「」と解像度をあげて宿る気分や心象風景を「」を通じて目に映る全てのことを、ユーミンは音符と言葉に変換して歌にしてきた。と語る。そして未確認であるとしながらも、ユーミンの作品世界が松任谷正隆と松任谷由実夫妻の共作であることに意味が置かれ、夫婦別姓を選ばないであろうという仮説が披露される。「」より「」について歌うことが増えたことにより結果として「この世にいる意味を教えて/永遠をみせて」「あなたは私の永遠」と愛のひとつの形、永遠を照らしているのではないかと思った。タイポグラフィでは目立たぬ存在だとしても。独善過ぎますか妄想が。

川田十夢の表現者としてプログラマーとして裏打ちされた説に戻ると「彼」を登場させることで多くの登場人物が扱えるようになり、「夢」が荒井由実時代より増えている。夢という言葉に内包される意味や密度も、同時に高まっている。単なる美しい夢だけではなく、悪夢の類まで、慎重かつ大胆に扱う。という変化が現れる。としている。

「私は夢見ていたかった、あなたは違う夢見ていた」としながらも「きっと同じ夢を見るの」と二人は星になるのである。「愛」と「夢」がまたたく姿が散見するのである。ある意味こちらの方が骨まで溶けそうな気がするのはロマンティックすぎますね。

松任谷由実(2017-2020):深海の街

川田はこう述べる。2020年に発表されたニューアルバムの『深海の街』、最先端のユーミンがどんな心持ちなのか知りたくて、このアルバムだけのタグクラウドを作ってみたところ、特筆すべき解析結果が現れた。と。「」に変わって「」が一位になり、「歩きだそう」という強いメッセージが込められている、と。明確な光を歌うユーミンに深刻なパンデミックにあることを川田に思い出させている。

私がこのアルバムを聴いた感想を書きたい。

多くのすぐれたミュージシャンがそうであるよう音楽と言葉の巫女としてハレとケの両領域をつないでいると思った。それもシームレスに。

ある意味このアルバムはコロナ禍であえぐ私たちの痛みを取り去ろうとするものだしyellだとも思える。

「あなたにいま会いにゆく」これは「雪の道しるべ」の歌詞。先行発売の扱いでハウスクリームシチューのCMソングだった。

数々の喪失を謳いながらも、円環する世界をこのアルバムでも歌い続けていた。あなたに会いにゆく、と松任谷由実は歌い続ける。そして「どんな天気でも必ず朝はやってくる、忘れていても必ず今日は過去になる」と松任谷由実が歌うことの効能をちゃんと彼女は知っている。

40年に及びユーミンを続けた人のユーミンは伊達じゃない。深く深く自身の深海を潜るようにしながらクリエイティビティを溢れさせている。

『宇宙図書館』はまるで環境が違う世界での作品といえる。ただ漠然とした不安と閉塞が世の中には漂うとしても平穏ではあった世界。だからこそ、その中で確かな光であろうとしていたと思える。

けれども『深海の街』は、自身も深く照射しながらの作業だったのだろうと思えた。不安を振り切るようなラテン、AOR、打ち込みの音、chill。彼女の開拓した分野たるシティポップの世界がそこにある。そして真新しくも揺るがない世界。それを2020年12月にもってきた胆力に恐れ入ったのだった。

そして松任谷由実が川田のラジオに登場した時自身のアルバムをこう語っている。

松任谷:自分のために作ったんですよ。自分が極上だと思える、今、そう思えるもの。だからこれだけやってきたから、そこに感応してくれる人が必ずいるはずだ、というのと、どんな職業、年齢の人でも追求すると、分析の最初にある私が1番にあるじゃないけど、私を追求することでパンッと一般化を帯びるんじゃないかなと。今までの経験でも思ってるんだけど。この期に及んでミュージシャンとして貪欲に音楽的成長求める。その姿勢を汲み取ってもらえれば勇気が出ると思います。

まだ全ての公演が中止と発表されたわけではないと川田。行ける方は会場までぜひ行って彼女の光を浴びて欲しいと切に願う。

そして川田が松任谷由実と共演した時のことを語っていた。彼女の中で自己分析がとっくに済んでいたこと。魔女と言えるほど妖艶であったこと。そんな魔女に「いい声している」と褒められたこと。などが語られた。

「いつの時代も私という言葉が一番に来ててブレがないですね」とユーミンに伝えたときのリアクションが、凄まじかった。間髪入れずに「私を追求することで、パーンと一般性を帯びるのよね」と、笑いながら伝えてくれた。筆者は「(ああこの人と会話を続けるには、自分自身が一人称の表現を続けて自らの感覚を把握しておくしかない)」と感じた。収録を終えて家に帰ると、知恵熱のような状態がしばらく続いた。魔女と対等な会話を続けるには、自らの魔力を自らの方法で高めるしかないのである。

と丸っと引用するしかないのだが表現者同士の会話とは表現以外にないのである。

表現者は、その魂をすべて表現のなかで出し切る存在だということが、よくわかる。そして表現者同士の会話を続けるには全てを出し切る表現をし続けなければならない。

川田十夢にとってはアーティストたちの言葉を独自のプログラムを使い感性を全投入して斬り込んでゆく孤独の作業である。たいへんな大仕事である。斬り込んだ先に何が潜んでいるのか実際にはわからないからだ。生み出した人々と対峙するために、自分の感覚のみを信じて一本道を行くイメージが私には浮かぶ。けして矮小化していい行為ではない。

誰かどう思ったのかなんて第三者が介入してよいことでもない。対峙する当事者二人のみが表現の高みを知るのである。命懸けの表現をする者のみが知る景色を見るのである。
硬質で純度の高い魂の可視化でありアーティスト唯一の魂の地図なのだからシンガー・ソング・タグクラウドは。おいそれと触れていいものではない。

そう言う思いを新たにして、やはり川田十夢の美しさに心震えた。私は表現者とは言えないかもしれないが表現者の言葉を読み解くための鍛錬は忘れたくないと思う。そのために言葉にはいつも密着していたい。そういうことを思わせられるユーミンと川田のエピソードだった。

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