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Netflix『真夜中のミサ』

ワクチン接種2度目で発熱していたので昨日は大人しく家にいてNetflixで『真夜中のミサ』を見ていた。マイク・フラナガン監督作。
めっぽう面白かったのでちょっと簡単な感想だけ書いておく。

しっかり書こうと思うと聖書と首っ引きになり今の私にはちょっと体力的にむずかしいので今回はやめておきたい。そもそも信仰とはなんなのか。という大きなテーマがあるためおいそれと手が出せない。

ただ冒頭からして聖書には『エレミヤの手紙』の一節にしか出てこない猫が岸に打ち上げられる存在とはいえ大量に出てくるのが面白かった。聖書と言えば動物奇想天外の書であるし、言ってみたら農耕歳時記なのだが猫はぼぼ表記されてない。そのせいか彼らは『復活』しないのであるが。

あらすじは陰鬱な故郷の孤島クロケット島に罪を背負い戻ってきたライリー。127人しか住人のいない島で孤独に生きることになる。母は受け入れてくれても父と弟はよそよそしいまま。
島の教会の神父である年老いたプルーイット神父は巡礼に出たまま体調を崩し代わりにその代理として若きポール・ヒルがやってくる。信者をまとめるヘヴァリーは彼に期待を寄せてゆく。が、少しずつそのことで島は狂っていく。

この舞台であるクロケット島民127人というのが既に仕掛けてあるわけです。
旧約聖書 詩篇 127篇。
「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。」
これがあらすじになっているといっても過言ではない。

ベースに信仰がある物語では何の映画でも見ていて腹立つ存在として狂信者は描かれる。こちらの真夜中のミサでもそれは同様。諸悪の根源として描かれる。

筒井康隆に『死にかた』という短編がある。唐突にオフィスに金棒を持ってあらわれた鬼がそこに居た人々とを次々殺していくのだが、つまり死にかたを描くのだが鬼が激怒する相手が狂信者。
命乞いをする者、鬼に殺されるくらいならとビルから飛び降りる者。他の人が金棒での一撃でやられるとしたら自ら頭を差し出した狂信者はミンチになるくらい叩きのめされる存在として描かれるのだ。それを思い出しながら本作をみた。

狂信者であるあまり、つまり自分のご都合で神を利用しているに他ならぬヘヴァリーはほぼ神を無視しているのと同義なのだ。謎多きポールヒル神父もまた独善的な愛ゆえに島に厄災と共にやってきた。無神論者になったライリーや島民のジョーがけして罪から逃げずに(逃げられずに)いるのと対照的な描き方だ。

それは監督マイク・フラナガンの罪を負った者たちへの眼差しが理由だろうか。ホラーが、いや映画が描きだすのは必ず人間である。どう生きるのかという問いかけである。
ラストの船上の若きふたりの先行きを思いながら一気に見終わった。よい作品だった。

所詮キリスト者ではないので聖書への理解も信仰についても不確かであるのだがそれでも充分に楽しめた。

マイク・フラナガン監督、エドガー・アラン・ポーによる複数の作品を下敷きにしたものもNetflixで撮影が決まってるようなので楽しみにしたい。
ちなみにポールヒル役のハミッシュ・リンクレイター、個人的にはめちゃくちゃニック・ケイブが頭をよぎって行った。


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