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三つの光とその差分

地方の映像を扱う小さな会社にも「チームラボみたいにしてくれ」という注文が来るというのを聞いたことがある。"チームラボがいいならチームラボに行けよ、うちみたいな弱小会社じゃ作れないんだよ"と注文された側は嘆いていた。しかし、チームラボはひとつの指標になっているのだと感心した出来事でもある。

川田十夢の今回のnoteの更新は同世代であり、同時代にそれぞれの光の表現をするチームラボとライゾマティクスについてAR三兄弟長男が言葉にするという、わりと豪華な内容だった。


チーラボと川田がムを略すチームラボ、Perfumeのとんでもないステージングでお馴染みライゾマティクス(ライゾマ)とAR三兄弟。
チームラボとライゾマはAR三兄弟よりも活動歴が長い。プログラミングでものを作る上での大先輩。と川田が書くようにチームラボの創業が2001年、ライゾマが2006年。ライゾマのミシンをハッキングする展示を当時ミシンメーカーに勤めていた川田がみて触発されてAR三兄弟になったのが2009年。

と、なるとその次の年の終わり頃にはAR三兄弟を目視したのだ、私は。なので寧ろ私の中の順番としてはAR三兄弟ありきのライゾマ・チームラボということになるだろうか。川田十夢を知るまでARという言葉もなにも知らなかったのだ。その世界をひとつずつ覚えていくなかでライゾマやチームラボの名前を認識していった。

でもそうなると尚更私の立場からしても二つの存在がありがたい。川田十夢が書くようにこの二つの優れた人たちにより、デジタル表現を世間が受け入れたことになる。ましてやライゾマがBeamsで行った展示がなければ川田十夢はAR三兄弟の長男にならなかったのだから。

川田十夢が当時のことを記述している。そのどれもがライゾマとチームラボに対する尊敬が見て取れる。下請け仕事をこなしつつ自分たちの文体を生み出して行く大変さを川田自身がよくわかっているからだろうし、その表現に違いはあっても一流のクリエイティブであり続ける姿勢は共通するものだ。ゼロから作り上げることができる本格派。歴史と規模が違ってもはたから見ている私にはそんな風に見える。

チームラボみたいに、ライゾマみたいに。そんな風に注文されることがAR三兄弟のようなタイプにもあるのかとそれを知ったときに驚いたことがあった。単なる技術屋さんじゃないのに。依頼の出し方でその企業のセンスがわかる。当然川田十夢は断ってきた。

投げ込まれたボールに別の解釈を与えて、新たな競技としてホームランを出さなくてはいけない。という苦労を何度も重ねてAR三兄弟はAR三兄弟になったのだ。だってこの前のDOMMUNEでも明らかだったけど、AR三兄弟はAR三兄弟という独自の場所にいる。

しかし川田十夢はその経験からライゾマとチームラボを分析したようだった。その成果はテレビブロスにチームラボを、BRUTUSに真鍋大度の素晴らしさを明文化したと書いている。

テレビブロスは何号かどうしても思い出せないが真鍋さんの方はしっかりわかる。なんなら手元にある。その中で真鍋さんとの違いを『彼が技術にプラグインして光を現実へ向けるのに対し、僕らはビックライトを作って物語の入り口を示す。正しく正反対。』ということを発言しており、自分たちのことはこう発言していた。

『技術だとかコンテンツを司る部分て、機密の吹き溜まりみたいになってて、窓を開けるまでに時間がかかりすぎます。自分たちが研究開発した技術だとか概念を使って、ユーモアのある切り口でオープンにしていきたいです』と。(これは2013年のBRUTUS)

光の使い方に着目して色の三原色を取り出すように川田十夢はチームラボのことを評する。「現在の技術で照射しうる色という色、輝度という輝度、まさにルーメン数という単位が光の束を表すように、色と光を総動員した表現」と。たしかに。一度でもチームラボの作品を観たことあるならわかるが光の坩堝に入るかのような感覚。私は音と光と振動が加わると感情に関係なく涙が出る体質だがチームラボで嗚咽した。物量。と思った。

ライゾマのことはこうだ。「独自の技術で観客の視点を一点に集めたうえで、テクノロジーの断面図を美しくスパッと見せてくれる。チームラボとは全く異なるアプローチ。」ラジオにおいては闇を見せるという表現さえしていた。「光の照射の仕方自体を要素技術としてすごい研究して僕からみると時にはメタファーとして考えると光を照射するというよりは闇を作るみたいな。」と言う風に。あのかっこいいというそのものは緻密な研究でできている。

そして自身のことはこうだ。『物語の中に入って持ち帰ったビッグライトやスモールライトを使って、対象を大きく見せたり小さく見せたりしている。ときには自ら率先して舞台へ上がる。笑い者になる。凄いと思われるよりは楽しそうと思われたいし、単純にウケたい。重たいものを軽く、大き過ぎるものを小さくしたいと思って続けてきた。』大事なことなので思わず丸っと引用してしまったが、本人が言うから間違いなくそう。

そして語っていいですか?私の見たAR三兄弟のことを。川田十夢は笑いというものにこだわりがある。人間を進化なり変容させるのにアートやかっこよさというのはあると思う。

しかし、そればかりではない。言語や文化を越えて人を笑わせることができる手法というものがある。シンプルな笑いはとくにそうだ。笑うことで重たいものが軽くなる。その笑いにどうやってテクノロジーを導入してゆくかの手腕がAR三兄弟は秀逸。テクノロジーが勝っても笑わせるネタだけが一人歩きしても成立しない、すごくダサいことになっちゃう。


でもそのギリギリの計算が秀逸なのだ。その計算の根拠がもしかしたら川田が言うところのスモールライトとビッグライトの存在かもしれないなと思う。そのスモールライトとビッグライトをどうやって手に入れたのかを書いているのが子供の頃の記憶なのかもしれない。

そして光眩いチームラボより、闇より出ずる光のライゾマよりビッグライトとスモールライトの使い手のAR三兄弟である理由。これは何度もブログには書いてきたが、AR三兄弟が向ける光はそれを観に来る人にだけ向けられたものじゃないということに素直に感動するのだ。

箱なら箱、場所なら場所。そこでそれを見るために足を運んでくる人たちのために作られたもの。そりゃ完成度を高めないと見向きもされない。それ相応のそれ相当の技術と表現を求められる。チームラボもライゾマもその点にかけては超一流。
AR三兄弟だって今はそうだけど、最初はそうじゃなかった。空間の意味を変えるところからはじまっていた。その現場をみて圧倒されたのだ私は。

大阪阪急梅田本店の祝祭広場(拡張オーケストラ)鹿児島の駅ビルの展示(射的縁日。目から出したビームで的を倒す)六本木ヒルズの52階(星にタッチパネル劇場)でも、広島のショッピングモール(ワープする路面電車)でも、小田急ロマンスカーミュージアムでも通りすがる人々の顔が笑顔になる。
足を止めさせる。旅行中のひと、買い物中のひと。雑多な目的の人々の視線を足をやわらかくゆるくまとめるのだ。そうやって自分たちの用意した物語に取り込んでゆく。

日常にある場所から離れないのに自由自在に空間の意味を変える。毎日の生活を彩る工夫としての最先端の技術を駆使する。体験する人々の笑顔の輝きが眩しさが私をここまでAR三兄弟に没入させているのだと思う。AR三兄弟の名前なんて多分それまで知らなかった人たちの、その笑顔の数々が捉えて離さないのだ。ま、そんなこんなでこんな仕上がりになってしまいました私。

これが私の見るAR三兄弟だが、川田のチームラボとライゾマティクスの解説は続く。それはつまり自身との違いだ。技術力の高さと同業者の評価ではライゾマが独走、世界的なメディアアート分野の評価や動員についてはチームラボが独走、AR三兄弟は物語の出入り業者のような独自のスタンス。とわりと謙遜してると思う。

自信家のように思えてかなり慎み深いのが川田十夢だ。厦門の展示会に同行したテレビクルーのAR三兄弟に憧れている若手にメッセージをと言われて「いないと思いますよ」といい笑顔で答えていたのが忘れられない。別に慎みからそう言ったのではないかもしれないが。おもしろいということのわかりにくさを考慮したのだと思う。あまりに笑いに固執してるのでごくごくたまに怒られている気がする、諸先輩方に。その場面を見かけるとそうじゃないんだけどなぁと思ったりもしている。

クリエイティブの水源に繋がっている道は人それぞれ、三者三様。川田十夢の表現が一番わかりにくいということが実にわかりにくい。わかりやすさと笑いが=ではないからか。
見た目のわかりやすさがわかりにくくしてるというのもあるだろう。クリエイティブの本質に関係ないとこで判断するのは偉い人にありがちなのかも。(川田十夢に愛あるが故にいう人は私もわかりますよ。)

その偉い人たちが寄ってたかってクリエイティブをやけのはらにしたオリンピックの開会式、閉会式。それに比してパラリンピックの開会式は心打つものだった。布袋寅泰の膝を上げながらのギター演奏を含め制作側の想いがストレートに伝わってきた。

だから余計にあのオリンピックの開会式はなんだったのかと川田十夢や猪子寿之が残念にまた口惜しく思うのもわかる。8年前、東京オリンピックはこうあるべきだというお題で対戦したWOWOWのプレゼン番組で対戦した時の動画を猪子さんがツイートしていたのだ。

今の日本でチームラボもライゾマも呼ばないなんて組織委員会は気が狂ってるんじゃないのかくらい思う私がいる。あの腐った開会式を忘れたくても忘れられない。出演した方々には一切非はないのは大前提だが、政治家のおじいちゃんやおばちゃんが横槍を入れた結果のアンフェアが齎した狂気みたいな焦土だった。

私は夢見ていた、AR三兄弟がオリンピックにまつわるなにかをやることを。でもその舞台は持ち越しだ。オリンピックよりもっと大きく意味のあることをする為にそうなったんだろう。
その為にはさまざまなクリエイターたちと新たなクリエティブの緑あふれる新大陸を行かねばならない。実力も実績も充分。デジタルの表現の可能性を照らすのだビッグライトとスモールライトで。

70歳とか80歳とかになった川田十夢、猪子寿之、真鍋大度が鼎談する姿を見てみたい気がする。それまで生きていられるか、私。と、思いつつもAR三兄弟のこれからを注目していきたいと思う。また長くなりましたが私の感想です。

それにしてもイラストが今回も素晴らしい。端的に三者を表す光でほれぼれ。
(黒太字は川田十夢の発言と『チームラボとライゾマティクス、ときどきAR三兄弟。』からの引用です。)


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