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フェリーニとルノワール。映画の話。


どこか出かけるのに良い季節になった。自然の美しい場所でのびのびとしたい。なんならお弁当を持って行くのだ。

ジャン・ルノワール監督の「ピクニック」を思い出している。タイトルから想像できるように、屋外での食事の場面がとても素晴らしい。

南仏のもつ自然と人々の機微がただただ、煌めいている。うつくしい映画だ。少女がブランコに乗る姿を青年が窓から身を乗り出すように見つめる姿の神々しいくらいの美しさ。

町あげてのピクニックで食事をする場所をさくらんぼの木の下を選ぶのは人種をこえて普遍的な感覚なのかもしれない。バスケットには何がはいっていたろうか。チキン、チーズ、バゲット、果物、ワインと紅茶だろうか。

晩年の作品である「草の上の食卓」はデュオニッソス的なコメディであるけれど有名な突風の場面もふくめクレールな色合いの季節が素晴らしい。

晩年にこんなコメディを作ったジャン・ルノワール監督を作中に出てくる魔法使いのガスパールに重ねてしまう。政略結婚の意図のある「草の上の昼食会」を破壊して博士とネネットを結びつける魔法使いのガスパール。それが自然だといわんばかりに。

それを自然と科学の調和とか、優生思想への警鐘であるとか考え方は様々あるけれど、監督はきっとそんなに深く考えてないのだと思う。
水と太陽と男と女が揃えば季節が生まれるというだけのことかもしれない。季節は翻しようのない法則だ。そんな織り込み済みのことを監督は描きたかったのではないか。(写真はガスパールが魔法で突風を起こした場面)


これはフェリーニの言葉だ。
「私の映画はすべて私の人生のある季節のシルエットである。」
そのシルエットはスクリーンで実体をもつ。男も女も、シルエットを作り出すはずの太陽も。
アマルコルドはまさにそんな映画で、季節の中に人があることを教えてくれる。

綿毛がまるで桜の花のようが 舞いちる春から次の春の間に少年チッタと北部イタリアの小さな港町の人々の悲喜劇がふりかかる姿に季節をみるのである。フェリーニの季節と、自分の季節もともに。

この映画も外で食事をとっていた。ラストの結婚式のシークエンスで屋外にテーブルを置き、白いクロスのうえにご馳走が並んでいる。

ルノワール監督の『草の上の昼食』とフェリーニ監督の『アマルコルド』この二つの映画は私にとってはオールタイムベスト。

他にも好きな映画はあるからいつかオールタイムベスト5なり10なり挙げてみたい気がする。テオ・アンゲロプス監督の『シテール島への船出』も確実に選出してしまいそう。

やっぱり季節の中にいることを放棄しないために、ピクニックのためのお弁当を準備しよう。
おかずは簡単なものでいい。出汁巻きたまごに三色野菜の肉巻き。ご飯はさつまいもの炊き込み御飯。あとは冷蔵庫にあるものを適当に詰めていけばいい。

想像するだけで楽しくなってきた。
あなたも一緒に出かけましょう。
とは言ってもまだまだコロナのことは考えなくてはいけないから頭の中だけでも。今という季節のシルエットを堪能しましょう。

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