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長渕剛と川田十夢のこと


これまで数々のアーティストとコラボレーションを川田十夢はしてきた。その中でも長渕剛は特別ない存在だと川田十夢を観察して来た私は思う。思うのだが、今回川田十夢のnote更新を受け書いた感想が7200文字以上にもなってしまっている…どうしましょう、これ。読んでくれる奇特な方、ありがとうございますと先に頭を垂れておきます。

長渕剛と川田十夢のことをこの場で語るなら私のblogの長渕剛カテゴリーを読んで貰うのが1番早いだろうとは思う。川田がnoteに書いている長渕剛との外的に見た流れを更に私が恣意的にその場その場で記録してきている。

長渕剛と川田十夢との出会いを記してもいるし、私の中の長渕剛がイメージを刷新していく話でもある。

先に断っておくと私はあくまで川田十夢の観察者であり長渕剛のコアなファンというわけではない。が、ひとりの音楽好きとして真摯な目で川田十夢を介して長渕剛を見た時に感じたことを書いている。コアな長渕剛ファンからしたら見当違いが多々だとは思うがそれでも川田十夢の長渕剛への恋文を読んでみた。まず、川田十夢が開発したシンガーソング・タグクラウドから触れることにして。

シンガー・タグ・クラウドについて本人が説明しているのだがそれを丸っと引用するなら以下のようになる。

"人間が解析できる範囲を越えた、膨大なボリュームのテキストを形態素解析。品詞分解したうえで文中よく使われている単語を頻度順に抽出。その頻度に応じてテキストを大小させる方式をタグクラウドと呼ぶ。ブログやソーシャルタギングといったサービスが台頭した2000年前後からよく見られるようになり、最近ではビッグデータの解析にも使われている。このプログラミングと解析の手法を、筆者が日本のシンガー・ソング・ライター向けに独自開発したのが、このシンガー・ソング・タグクラウドである。"
と、いう川田十夢の開発物のひとつである。だが、忘れてならないのはその解析したものを読み解くのが川田十夢であるということだ。ここがとても大きいと私は思っている。

誰かが同じ解析手法を使ったとしても川田十夢と同じ解像度にはならないということを感じる。川田十夢の音楽的素養、文学的素養、ボキャブラリー、思想体系があってはじめてアーティストに対峙出来得るのだと言うことは明確にしておきたい。そしてそこに川田の全身全霊の誠実を添えるのである。

膨大であるがデータと言ってしまえばデータである。その膨大なデータを解析した上で血の通ったものにするのはアーティストへの川田の敬意だ。長渕剛のみならず他のアーティストたちにも等しく敬意を払った上で川田は彼らの深く険しい言葉の世界に斬り込んで行くのである。

その覚悟を前提とした行為の上で川田が"兄貴"とさえ呼んだ長渕剛の解析を敢行した。川田十夢の恋文を読んで行こうと思う。

客観的にその世界を見るためにシンガー・ソング・タグクラウドを使って川田が成した事は長渕剛の"全24作のオリジナルアルバム、そして最新シングル『しゃくなげ色の空』を含む全248曲(114,933文字)"の分析である。

気の遠くなる作業の末の分析ということだけは伝わってくる。何事も客観の立場を守るためには骨を折らねばならない。その労苦を厭うてはなにも出来ないということを我が師川田十夢が特に触れるでもなくさらりと書いている。

長渕剛のイメージ。長い活動歴故にその時代その時代の長渕剛が人々の心に焼き付いてしまう川田の指摘はその通りである。川田言うところのシンガー・ソング・ライター期1979年〜1985年。この辺りが私の長渕剛原風景である。歳の離れた姉二人が盛んに長渕剛を聴いていた。当時姉たちは中高生の多感な時期。その頃の先端の日本の音楽が家中に溢れていた。長髪で高く澄んだ歌声とどこかに反骨を秘めた眼差しの痩せた男の歌声も当然のように再生されており、小学生の私の心にも届いていた。

シンガー・ソング・ライター期:1979-1985

風は南から(1979 年 3 月 5 日) 
逆流(1979年11月5日) 
乾杯(1980年9月5日)
Bye Bye(1981 年 10 月 1 日) 
時代は僕らに雨を降らしてる(1982 年 9 月 1 日) 
HEAVY GAUGE(1983 年 6 月 21 日)
HOLD YOUR LAST CHANCE(1984 年 8 月 18 日) 
HUNGRY(1985 年 8 月 22 日)


この時期の長渕剛のアルバムを川田十夢きっかけで聴き直した時には衝撃を受けた。ほとんどの曲を歌えたのである。受け身で聴いていたはずなのに歌詞がメロディが自分に刻み込まれていた。 

川田の分析にまるで短編小説を書くように、歌の中に多種多様な物語が登場し、語り部としての主人公が登場している。とある。一人称の書き分けという作家性がそれを支えていると思われる。等身大の人間の高い解像で描かれるものとして当時小学生の私が受け止めたのは吉見祐子との共作である『Don’t Cry My Love』である。(アルバムHEAVY GAUGE収録)

部屋には二人でいるのにこんなにも一人を感じなければならないのか。大人って…と子供心に少しブルーになったし、あまりのその情景のさみしい美しさに惹かれていた。特に歌詞には部屋も一人も出てはこないのだが。

そして同アルバムのラスト曲『僕のギターにはいつもHEAVY GAUGE』にも同じものを感じるのである。"ああ希望がいつもガラス細工なら壊すことからはじめてみようか"と30歳の長渕剛が歌う姿に。

ドラマの主演が決まり知名度も上がり売れっ子となりツアーを終えた長渕剛のギターにはヘビーゲージがいつも張られているのだ。僕のギター「は」ヘビーゲージではなく。"には"と格助詞「に」でヘビーゲージでなければならない事を取り立てる。

太くて硬い弦がまるでその反骨のように。太くて低くて量感を増す弦が僕のギターには貼ってあるのだと長渕剛は歌う。このことはさすがに小学生にはわからない内容だが今聴き返してみると長渕剛はずっと最初から長渕剛だったのだなと思わされる。



さて次はアクター期:1986-1993である。川田十夢が区切るように『家族ゲーム』はアクター期から区別してよいと思う。役者としての長渕剛は私の記憶では『家族ゲーム』から始まるのだが実質『親子ゲーム』とするべきであろう。そして黒土三男との出会いを抜きにしてアクター期は語れない。

アクター期:1986-1993

STAY DREAM(1986 年 10 月 22 日) 
LICENSE(1987 年 8 月 5 日) 
昭和(1989年3月25日)
JEEP(1990 年 8 月 25 日) 
JAPAN(1991 年 12 月 14 日)
Captain of the Ship(1993 年 11 月 1 日)

ある程度の年齢の人の多くが長渕剛というとこのアクター期の長渕剛を思い浮かべるだろう。カリスマとして、ダークヒーローとしての長渕剛を。

川田が指摘するようにドラマの役柄であった筈なのに登場人物のキャラクターの種を自ら撒き、その人物を自ら演じ、自らの歌詞世界にドラマの登場人物を持ち帰って投影させ、主題歌としてリリースする。ことによりそれは強烈なものとなった。

この頃長渕剛自身己と演じる人物との区別はつかなくなっていたろうと思うのだ。自身との境界をぶち壊すことで「世の中の不条理みたいなものを、究極の形を借りてやっつけたかった」と後に語ることに腐心したと思えるし長渕が英二に託したものは金子正次への憧憬ばかりではない。

話が逸れた。シンガー・ソング・ライター期に少年川田十夢は長渕剛の薫陶を受ける。ドラマ「とんぼ」の影響を受けてない四十代男性は少ないだろうと思われる。思春期の少年に長渕剛の中のダークヒーロー像は強烈であったろう。ただこの頃の印象とセルフ・プロデュース期の長渕剛を取り巻く様々な出来事によりイメージが刷新されてない人も多くいるかもしれない。かく言う私もそのひとりであったかもしれないのだ。

音楽がシンガー・ソングライター期とは大きく違い、より強いメッセージへと変化していることも影響していた。私が姉の影響下であるとはいえリアルタイムで聴いたのはアルバム『STAY DREAM』から『JAPAN』までであると言える。『僕』から『俺』への人称の変化に文化系女子は対応できなかったし、『銭』を歌う人の本質を不遜にも浅く見積り見極めることは出来なかった。ちなみに長渕剛有識者の山田トムトム曰く、バンドブームと重なる時期、ひとりでギターをかき鳴らす長渕剛がたまらなくかっこよく見えたと語っていた。


そしてセルフプロデュース期:1996-2017である。前述したように長渕剛は己のカリスマと同一化し、唯一無二の存在と化してゆく。巨大な場所でのライブに於けるほとんど神がかりとも言える自己愛の肥大が心地よくさえある。桜島Liveに富士山Live。動画でしか見たことはないが日本で1番dopeであるとその時思った。

川田が書くようにセルフプロデュース期は長渕剛の葛藤の時期とも言えるだろう。それまでも葛藤のなかったとは到底言えないが。土台、長渕剛と同じレベルの感度の感性を周囲に求めてもそれは難しいこと。
アーティストとは孤独の作業。その孤独を変換し、評論家のためにではなく大衆のために、長渕剛のファンのために歌い続けたのが長渕剛である。

川田十夢きっかけで聴き直したアルバム達、空白のセルフ・プロデュースのアルバムどれをとっても恐ろしい音楽家としての拘りを感じた。
長渕剛自身恐るべき音響マニアなんだなということがさして詳しくない私にも伝わるほど作り込まれた音楽であり、多彩な音楽性、ギターの技法、声、楽曲。
なぜ日本の音楽評論家たちは長渕剛に対して正当な評論と評価をしていないのかと不思議に思った。まったくなされてないとは言わないが、不十分であると私は思う。

その点でカルチャーの文脈でもミュージシャンの文脈でも長渕剛の再視認した最初の人が川田十夢だと思っている。その川田十夢が解析したこの頃の長渕剛は原点回帰へ向かう。2017年のアルバム『BLACK TRAIN』をいつからか長渕剛から遠ざかっていた姉に聴かせた時こう言い放った。『昔の剛に戻ってる!』と。

確認したところアルバム『ふざけんじゃねえ』までは所持しているとのことだった。20年以上の時を経たオールドファン(ライトファンとも言えるが)を掘り起こす力が長渕剛にはあった。

つまり、長渕剛に再度出会ったのである。ひとりのアーティストで何度も出会えるアーティストはそんなに多くない。新しい曲で過去の栄光に縋ることもなく切り口も音楽性も刷新しながらまた再び時代を越えて出会えるということ。あの長渕剛の肉体の変化はまさに精神を貫くヘビーゲージの現れであると思う。

それは長渕剛の使う言葉の変化にも現れている。「海」「男」「侍」「友」 そして、最初期にも出てきた「雨」だった。時代を重ねるにつれて、スケール感を帯びた言葉の数々。と川田が分析するように長渕剛は強度と密度と重みを増しているのである。


しゃくなげ色の空:2020。コロナ禍に於いてとても静かで鋭敏な、そして自己にひたすら向かいながらも闘う人々のための曲を長渕剛は歌っていた。ひっそりかんと揺れるしゃくなげは語りかける、命の音が響いてくるほど静まり返った空のもと。常に死と生を意識しながら根源の歌を長渕剛は歌うのである。傷つきながらも、闘う人のために。それはおそらく自分を奮い立たせるためにも。弱さを隠さない強さを持ってして。


長渕剛:1979-1986-1993-2017-2021-20X
過去から現在にかけて長渕剛が変わらず歌ってきたこと。タグクラウドに現れた言葉を解析すると、それは「心」であり「時代」であった。「悲」しさのあまり「涙」することがあっても、「明日」や「夢」や「愛」を忘れずに。いつだって弱者の視線から「風」をしっかり見定めて、「今」を歌い続けている。長年聴き続けているリスナーなら誰しも知っていることだが、ひとつの時代しか知らない人には、まだ届いていないかもしれない。改めてここに定義する。長渕剛は何も変わらずに、変化を続ける。そこに何の矛盾もない。

この部分に関してはその定義含めて川田十夢の書いたことを丸々引用するしかない。その通りだと思う。なんの矛盾もない

そして。私としてはSTAY DREAM2020と言うしかない出来事を書かないわけにはいかない。その後の長渕剛と川田十夢との関係が決定したとも思える出来事だ。

2020年8月。川田のラジオ番組J-WAVE INNOVATION WORLDに長渕剛がゲスト出演した時の話である。

INNOVATION WORLDに出演した長渕剛川田十夢のリクエストに答える形でスタジオライブをおこなった。その時に川田がリクエストしたのは子供の時に憧れたであろう「STAY DREAM」である。

その放送を聴きながら川田十夢は勿論多くのリスナーが感動に打ち震えるほどの歌声で長渕剛は歌い切った。だが、その感動には裏打ちされた理由があった。長渕剛の有識者の指摘がなければ到底その理由には辿り着けなかっただろう。

川田十夢のリクエストで歌ったSTAY DREAMは発売当時のオリジナルに忠実に歌っている、と長渕剛有識者は言うのだ。30年前のオリジナルのままの歌詞とコードで。
近年は歌詞とコード進行を変えているのに、この時だけはキーとコード進行と歌詞がオリジナルであったのである。
川田十夢が憧れ続けた、あの時以来のオリジナルバージョンの演奏を長渕剛はその日したのだ。
有識者曰く「若い頃のキーで無理しながら歌ってる」とのことであったが、この事実だけで私は長渕剛が本気であることを、最初から魂の共鳴と共振があったことを理解した。

つまり長渕剛は少年時代の川田十夢に歌って聴かせたのである。川田のその時の状況も、なぜSTAY DREAMをリクエストしたのかの心境もすべて含んで特に何も自分のした事を言わずに全てを包み込んで、長渕剛はオリジナルで歌った。

長渕剛にそうまでさせたのは川田の才能はものより、その資質であろうと思う。先も書いた通り労苦を惜しまず真摯に向かい合う姿勢と、そもそも魂の形が似ているということもあるだろう。受けた影響を隠さないということもあるだろう。
したがって仕事となると長渕剛は相当に厳しいことは想像に易い。しかし川田は今までのところやり切っているのである。あの孤高の魂と共鳴・共振しながら。

最後に長渕剛の川田十夢に向けた発言集を貼っておく。今後の二人の化学反応と戦士同士の会話が楽しみである。これだけのことを長渕剛に言わせた男が川田十夢である。

長渕:やっぱり十夢君との出会いが非常に鮮烈というか、J-WAVEで初めてラジオに出演させてもらったときに。次の世代にとても必要なんですよ、そういう人間ていうのはね。次の世代に行くときに必ず模索しながら新しいことをやるっていう若者が必要だと僕は思っていて。
かといって技術職人にだけ染まっているわけじゃなく基本的にアナログ的な人間の豊かさとか、人間の尊厳みたいなことを根底に持ってらっしゃる青年なんで、一緒に何かやりたいなって言うふうに思いましたね。
ひと言でいうと、面白そうって。
Q.川田十夢への想いは?
長渕:僕は革命って言葉が好きなんですよ、革命。で、その革命って言うと政治的なものとか、血を流すとかいろいろありますけどね、それも好きなんですよ。
やるやらないは別としてもすごい革命だと思ってます。それを彼が、どこまで考えていらっしゃるか分かんないけど、俺はお前とやるからな!っていう想いは凄く強い。一緒にやろうな、っていう。
で、それは僕らの幸せを勝ち取るためだから。結果を出さないと何とも言えないですけど、僕は静かにそういう風に思っています。
十夢がやるんだろうな、一緒にやろうな、って。その第一歩は俺と一緒だぞ、ってそういう思いがすごく最近強いね。
長渕剛:「思わぬところで川田十夢君と出会って、彼の思いを聞いていると何でもやってあげたくなる。すげえ心が綺麗で一緒にいると気分がいいんだよね。

きっとこれからの僕たちの未来を彼の想いが形となってどんどん日本中に、もしかしたら世界中に広がっていくんだろうな。今日は十夢君の絶大に好きな歌だって言うから十夢君のために歌うよ。」
(2020年10月INNOVATION WORLD FESTA コラボレーション時、予定より一曲多く歌った時の発言。STAY DREAMを歌った)
長渕「これは革命児ですよ。僕は宇宙人と思ってる。違う波動をビビビと感じる。僕は生身の鹿児島の田舎者なんだけど、元々は。彼は熊本生まれの宇宙人です」
川田「生まれは熊本なのに、宇宙人」
長渕「宇宙からきたんです、だから彼は先を行ってる。僕らアナログ派はテクノロジーの中でよし、心を込めてやるぞ、みたいなね。そういう意気のある奴らと徒党を組んで日本を元々叙情のある国なのでそういう一番いいところの、誇りに思えるようなそう言う活動を一緒にしていきたいです。」(INNOVATION WORLD FESTAステージ後インタビューにて)

(黒太字の部分はすべて川田十夢/『長渕剛は、何も変わらず変化を続ける。何の矛盾もない。』より引用。)


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