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日本の常識は世界の非常識:お誕生日編

私は、通算10数年ミラノに暮らした経験があります。それ以上に暮らしている先輩方もいらっしゃいますが、本日は、私の知見でお話ししたいと思います。

お誕生日は年に一度誰にでもやってきます。日本では、周りの方にお祝いしてもらうというのが一般的ではないでしょうか。
子供の頃から、ご両親が主宰をしてお誕生日会をするのもそうですし、物心ついてからは、友達から誕生日プレゼントをもらったり、お友達がお誕生日会を主催したり、お食事に行ったり。アメリカの映画の影響かもしれませんが、映画やドラマなどでもサプライズパーティーがあったりして、誰かにお祝いしてもらうのが一般的な通念になっていると思います。

ですので、誕生日にひとりぼっちで過ごすことがあると、変に卑下してしまったり、たまらなく孤独に感じたりするのは、そういうところから来ているのかもしれません。

私が暮らしたイタリアでは事情が変わっていました。結論から言うと、「お誕生日は自分が主催して、周りの人に一緒に祝ってもらう。」でした。
人から祝ってもらう→自分で祝う。
逆転の発想なんです。

イタリアでの誕生日は「生まれてきたこと」や「産んでもらったこと」、また「 自分を支えてくれている周りの人」へも感謝を示すというとても大切な一日なのです。

初めて目にしたときは、目から鱗でした。自分のお誕生日パーティーを自分で主催する!ということに。これは子供だけではないんです。そしてセルフィッシュでもないんです。

誰かに自分の誕生日を祝ってもらう、もらえないで、で悶々としているなら、「今日は、私がこの世の生を受けた日なの。よろしければ、その喜びをご一緒していただけるますか?いつも私を支えてくれてありがとう!」と、イタリアではスプマンテ(発泡性ワイン)ですが、祝酒の一杯でも周りの人に振る舞えば、その日1日は自分にとっても友人やお知り合いにとってもなんだかハッピーな1日になるかもしれません。

一年に一回の自分お誕生日。毎年でなくても記念になる年は、ご自身で主催して、お世話になった方々へ、美味しい祝杯の一杯でも振舞うのも粋かもしれません。

通りすがりやレストランで「一杯をどうぞ」という素敵なプレゼントもそういえばイタリア滞在中にあったものです。懐かしいイタリアの思い出です。

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