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産後に生理の量多くて貧血が悪化した話

思い返せば生理とは長い付き合いで、始まったのは確か小4くらいだったかと思う。もう15年以上の付き合いだ。


10代の頃


一番生理痛が辛かったのは中学校の頃。よく痛み止めを飲んでいたような記憶がある。痛みでぼんやりしながらよたよたと学校の前の歩道橋渡ってたのを思い出す。ただ、貧血と言われたことはなかった。健康チェックの時に下瞼の色を見るチェックでも言われたことはなかったし、高校生の時友達に誘われて献血に行ったこともあったけど断られたことはなかった。

20代の頃


20代の頃には生理には慣れたのかそれほど辛くなかった。生理痛もあったけど薬飲めば動ける程度だし量も特別多いとは思わなかった。
ふと献血でもしようかと献血ルームに行った時初めてギリギリ貧血の判定が出て献血を断られた。これが初めての貧血判定。なんとも言えない気持ちでジュースだけいただいたことを思い出す。

妊娠した30代

30になって少しした頃妊娠した。妊娠中は生理とはしばしお別れである。つわりは人並みに合った。酷い方ではなかったと思う。安定期に入ればつわりもなくなり順調な妊婦生活を送り、予定より遅れて出産した。先に破水してしまい陣痛促進剤を入れるも陣痛に苦しむだけ苦しんだが、感染のリスクを考えるとタイムリミットは24時間。破水から約20時間後に緊急帝王切開となった。
出産を終えた子宮は急速に縮む。後陣痛というがコレが結構痛い。産後2~3日子宮収縮の痛みが強い。そして悪露という生理に似たものが1ヶ月くらい続いて不快だった。

産後の生理

産後3カ月から1年くらいで生理が来るらしい。個人差が大きくまた母乳をあげているかどうかでも変わるらしい。私は母乳あげていたけど足りなくてミルクを足していた。生理は7ヶ月くらいで帰ってきただろうか。まだ授乳はしていたけど生理始まるのかぁと思った。
そしてここから貧血の辛さが始まったと思う。
産後とにかく体調が悪かった。そもそも母乳を出すことでの消耗がすごい。生まれて初めて飢餓を感じた。お腹すいた、というよりも飢えだった。その上子供のアレルギーで乳製品を除去していたので必然的にハイカロリーなものがあまり食べられずずっと飢えていたように思う。でも食べても食べても体重が増えなかったのは最高だった。後にも先にもあの時だけ。
授乳だけでも貧血になるというのに(もともと貧血が酷い人は無理に母乳だけに拘らない方がいいと思う)生理の量が増えた。そりゃそうだ、子宮戻ったとは言え一度とんでもない大きさまで伸びたのだから。面積大きくなった分量が増えるのはそうだろうと思う。

生理の量多すぎなので婦人科系の病気を疑う

産後の生理は回を重ねるたびに量が多くなった。そして塊が出るのが気になった。ちょっとした塊くらいなら気にしないのだが、鳥レバーくらいの大きさのが時々出るようになり、色々と調べていると子宮筋腫や子宮内膜症、卵巣の病気など色々と出てくる。もしかして病気なのかな?と思いつつも、生理中にはコレはヤバイ、量が尋常じゃない。病気なのでは?!と思うのに生理が終わってしまうとなんとなく忘れてしまう。
子宮がん検診のお知らせが来たので意を決して検診に行きついでに診察してもらった。

ただ生理の量が多いだけ

検査の結果は異常なしだった。子宮も卵巣も問題なし。がんもなし。
量が多いのは量が多いだけですね、とのこと。
え、そうなの?と思いつつも、まぁ異常ないならいいか?と思い特に治療は行わなかった。

多くなる生理の量とPMS

身体が重くて起きられない、消えてしまいたいような自己肯定感が皆無になるような日が月に1、2日ある。
たまには心が不調な日もあるけど長く続かなかったのであまり気にしていなかったが、ある時この心の不調と身体の不調が生理に連動していることに気づいた。
大体生理が来る3日前が体調不良のピークだ。それまで生理前に精神的に不安定になって身体が重くて動けないのかなと思っていたけど、貧血の症状を調べるうちにどうやら生理3日前あたりが貧血のピークで身体が辛いのではないか?と思った。気分が塞ぎ込むのはホルモンのせいなのかはよくわかない。
子宮がん検診で異常なしと言われたがその後もじわじわと生理の量は増えていき、多い日の昼は夜用を使用していたけどそれでも1時間持たない時があった。さすがにコレは日常生活が困難というやつなのでは・・・。生理前の不調で仕事を休むことも多くなり、いい加減にどうにかしなければと思った。
ピルを飲むといいと聞いたが閃輝暗点のある頭痛持ちなのでちょっと怖いなと思っていたが、ミレーナ という選択肢を知り検討することにした。

治療の話は次回に続く

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