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どう過ごしてもたどり着く先は同じ、心地よく楽を選べば人生極楽モード。

魂には設定があります。

行き着く場所は決まっていて
私たちはそこに向かう「方法」を選んでいる。

何を選んでも、どれだけ必死に血眼になっても

「行き着く先は同じ場所」


肩に力を入れてガッシガシに頑張って
自分の時間犠牲にして、心身を削っても

ふわふわ〜っと流れながら
楽しんで、自分の時間を満喫して、心身心地よくいても

同じ場所に着くなんて。。。笑


選んだ道が正解

という言葉がありますが
裏を返せば「選ぶべきではない道は選べないようになっている」
とも言えます。


じゃあ、「方法の選択」が出てきた時は
出来るだけ自分に負担のないような方法を選べばいいわけです。

どっちを選んでも、行き着く先は同じなのですから
方法として楽な方がいいですよね。


そこで「修行モード」の人は
楽しちゃだめ、楽な方に流されちゃいけないって思うわけです。
頑張らないと、無理してでもやっておかないと、、、って。

「極楽モード」の人は、楽な方を選んでいける。

でもそれは「自分の魂が楽だと感じる方法」なので
「人から見て楽かどうかは分からない」です。

人から見て「そんなん絶対しんどいやん」って思うことでも
自分にとったら楽だということはよくあります。

それぞれの魂は違いますからね。

だから人のアドバイスや情報の中で
採用するものを自分で選ばないといけない。

権威者の情報や〇〇の専門家の情報が全て
自分に合っているかは分かりません。

1つの参考やサインにはなりますが

自分の心がNOを言っているならそれはNO!!


NO!と心が言ってくるなら
それはあなたにとって「修行モード」ですから。
誰かにとっては極楽なのかもしれませんが。。

魂の道じゃないよ!ということなのです。
魂の道じゃない方向に進もうとしたら
心身を病んでしまったりします。

みんな同じことを、同じだけ。。という旧感覚でいると
修行モードをわざわざ選ぶことになっちゃいますから。

心地いい気持ちになるものが「極楽モード」です。


なかなかその判断って難しいですが、要するに

自分がやりたいと思うことをする
自分が嫌だと感じることはしない


これ以上、これ以外の成功法則はありません。

あなたの魂しか正解は分からないようになっているから。


嫌なことをしないというのは
楽を選ぶということではない、と修行モードの言葉もよく聞きますが

嫌なことをしないというのは
心が楽に生きられる方を選ぶ、ということなので
結果的に楽を選ぶということです。


どう生きても私の人生。
楽して何が悪いんだ🤗?でいいのです。

「楽」しても、「苦」しても
行き着く先は同じです。

泣いても笑っても、結果は同じ。

ならば、自分が心地いい方向へと
心地いい方法で、心地いい人たちと過ごしながら
心地いい目的地にたどり着きたいですよね。

これが極楽モードです👼


目の前にある選択に対して
「自分がいかに楽に過ごせるか」で選択する癖を持っている人は
無双モードなのです😆

いつもサポートや温かいメッセージをありがとうございます✨