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自分を愛するために、何かをしようとしなくていい〜やりたいことしてたらいいよ〜

自分を愛するために、何かをしなくていい。
何かをしようとしなくていい。

自分をそのまま愛するということは
自己肯定感とも言いますが

自分を愛する=すべての自分をゆるす
ということなんですね。


だから自己肯定するために
何かをしようとしなくていいし、実際何もしなくていいんです。

高めようとか上げようなどもいらないです。
自己肯定感を高めよう、上げよう!と思うことがもう
自己を否定しまくっていますから。。


何かを続けられたら自信が湧く。
何かが出来たら、得られたら、持っていたら
自分にOKを出せる。

自信をもつために、何かを頑張る。取り組む。

こういう感覚を
なぜか私たちは教わってきている気がしますが

もしもそれが出来なくなったら、、
続けられなくなったら、、
失ったら、、

自分がダメに感じてしまうでしょう。


条件はただのアクセサリー程度にしかなりません。

学歴も、資格も職歴も、実績も肩書きも年齢なども
偏差値もテストの点数も、美醜や上下
優劣、光闇、ポジネガのような二元的なもので自信を持とうとすると

それが手の中から失われた時
「価値のない自分」になってしまいます。

これらはダメなものということではないけれど
「人の価値」とはなんの関係もなく、そのもの以上でも以下でもない。

ただそれがそこにある、それだけ。



自分を愛するために
何かをしようとしなくていいし、何かを得ようとしなくていい。

何者にもならなくていい。

今ここにいる自分は丸ごとOK
どんな自分も素晴らしい。


自分が欠点だと思っているところが
実は自分の長所だった、みたいなことがあります。

欠点だね、って言ってくる人もいれば
長所だよって言ってる人もいるわけです。

だったら何をしても「それはあなたの長所だよ」
って言ってくれる人と一緒にいればいいだけなんです。


私たちは人に合わせます。
社会に合わせます。

自分らしさを押し殺して
誰かの思う長所や、誰かの思う素晴らしいものを演じます。

そして頑張ってもうまく出来ない自分をダメだと思い込みます。

でもそれ、頑張る必要ある🧐?




何をしても
「あなたのこと、とても素敵だと思う!好き!」
って言ってくれる人はいる。

でも同じことしても
「全然何もしてくれてない!もっとちゃんとして!こんなの嫌い!」
と言ってくる人もいます。

これは、自分がどうなのかということではなく
「相手の捉え方」だけなんですね。

人から指摘される短所なんて
ただの感想でしかない


全部長所で全部「ある」なら
何もしなくていいですよね😇

誰から見て「ないじゃん」って言われても
違う誰かから見れば「あるじゃん」になるわけだから
これ以上、何を付け足す必要があるのかってことなんです。

自分を愛するために何かしようとする行為は

あなたには「ない」よ、短所がいっぱいだよ、と言ってくる人に

合わせようとしていることになる


あなたに「ある」と言ってくれる人に合わせるなら
もう何もいらない、必要ない、そのままでいい。

だってあるのだから

もう、何もいらないよ。
そのままでいいよ。
むしろそのままが大好きなんだよ。


自分を愛するために
何かをしようとしなくていいんです。

本当に、そのままでいいんです。

それが周りの幸せでもあるんです。

いつもサポートや温かいメッセージをありがとうございます✨