魂の道は川下り、外れていれば川上り〜流れに逆らわない〜
「自分にとって正しい方向」に進んでいる時は川下りをしているような感覚です。流れの速さはその時々で違いますが、力を入れなくても自動的に運ばれます。一所懸命、漕ごうとしなくても。ただ、ぶつからないように舵取りだけ気をつけている感じです。
しかし、「自分にとって間違っている方向」に進んでいる時は川上りをしているように大変です。漕いでも漕いでも進まないでしょうし、体力は奪われて、疲れてしまいます。舵取りしようとしても押し流されてしまいます。
「自分にとって正しいのか、間違っているのか」と体感的に判断する時、この感覚が役立ちます。
毎日の生活が、川下りをしている、もしくは船着場のような場所でのんびり休んでいるような穏やかな感覚が多ければ、大局にみて正解です。
しかし、毎日の生活がまるで川を逆流しているようなハードさが伴うならば、魂の設定からどこかが離れている可能性があります。
全体的に見て穏やかでも、ある人と会うとしんどくなる、これをやると苦しくなる、それに触れると重くなる、そのことを考えるとネガティブが出てくる、のような「川を逆流しているようなしんどさ」があれば、その対象との関わりは「魂の設定」にはないものかもしれません。
だったらそこから距離を取ればいいと頭では考えられますが、ただその対象は「一般常識」で考えると「難しいもの」だったりします。
魂の設定と常識は全く違うものなので、「悩む」のですよね。
頭で悩むよりも、身体と心で感じる方が、魂の正解を出しやすいです。
今、生きていて、川下りや停船場での休憩のように心地が良くスムーズなのか、川上りのようにハードで苦しいものなのか。
常に問い続けると、自分で魂の道(設定)を見極められるようになりますし、本当の幸せを見失わずに生きることが出来ますよ。
いつもサポートや温かいメッセージをありがとうございます✨