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改めて『渋谷ホームレス殺人事件』を考える

『夜明けまでバス停で』という映画を見た。『渋谷ホームレス殺人事件』をモチーフにしたものだ。

さきに断っておくと、実際に起きた出来事と映画の中身は全く別物だと捉えるべきものだと思う。

『渋谷ホームレス事件』とは、東京都にあるバス停付近で野宿生活をしていた60代の女性が、バス停の近隣に住む40代の男性に殴打され亡くなった2020年の事件である。

若い時は快活で明るい性格だった。27歳で結婚したが、夫からの暴力に耐えかねて翌年に広島の実家に帰り離婚。ひとりで上京してからは、いつのまにか家族とはほぼ連絡を取らなくなる。晩年、スーパーなどで試食販売の仕事などをしていたようだが、コロナウイルスの影響もあり、対面の仕事は減っていった。警察が身元を調べた時は、職業不詳の状態だった。
(表現は出典元から少し変更しています)

https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote15/

所持金8円。弟の連絡先が書かれたメモがウエストポーチから出てきた。

それが意味することは何だったのだろう。つながりを持ちたいと思う気持ちと窮した状況を知らせることへの抵抗がそこにはあったのではないだろうか。

映画はバス停で寝泊りする板谷由夏演じる北林三知子という主人公が、その状況に至るまでを克明に描いている。寮付きの飲食店で働きながら、自作のアクセサリー販売で生計を立てていた。コロナウイルスの流行をきっかけに生活が一転していくというストーリーである。

北林三知子は上司の伝票改ざんに目をつむらない真面目な人でありながら、同僚のことを気づかえる人である。飲みに行ける友人やアクセサリーの展示に協力的な知り合いもいた。

それでも、生活に窮した際に「助けて」ということはできなかった。

言えばよかったのにと思う人もいるだろうと思う。

わたしは10年以上にわたり、ホームレス状態の人と関わってくる中で、多くの彼女に似た人を見てきた。極限まで頑張り続ける人が、こんなにも多い世の中に幾度となくかなしみを覚えてきた。

夜回りなどでお会いするたび、「早く相談に来てくれたらいいのにな」と何度も思うけれど、何度も何度も喉まで出かかった言葉を飲み込んでいる。

相談に行くということは簡単でない。自分の状況が極めて不安定ななかで、どうしようもない不安を抱えて、信頼できるかどうかわからない場所に行き、自分の身の上を話す。なんてハードルが高いことなんだろう。

それでも、こんなに大変なことを乗り越えて「明日を生きよう」とやってきてくれた人たちが、わたしが働く現場には年間数百人といる。これは本当にすごいことだと思う。

実際に亡くなった被害者の女性や映画の北林三知子に、どんな声かけやどんな関係性があればよかったのだろうかと考えさせられた。

また主人公と関わり合う登場人物の多くは、生きづらさと隣り合わせだった。パワハラとセクハラに耐えながら自分の地位を守ろうとする人、ジャパゆきさんとして日本にやってきたフィリピン人女性、事情を抱えてホームレス状態になった人たち、親の介護で生活が苦しくなってきたと話す主人公のきょうだいなど。

ホームレス問題は社会課題の集積である。だから、どの登場人物も北林三知子になる可能性があった。そのことを改めて考えるきっかけになった。

映画を見たわたしにもこのnoteを読んでいる人の身近にも、社会課題は潜んでいる。目を背けても、飲み込まれてしまう可能性は消えない。

だからわたしはホームレス問題に関わり続けているのだと思う。明日を生きようとする人が、あたたかい夜明けを迎えられる社会であってほしいから。

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亡くなられた女性のご冥福を心よりお祈り申し上げます。映画などがきっかけになって、誰かの希望や明るい未来が紡ぎ出されることを願っております。


普段の自分ならしないことに、サポートの費用は使いたいと思います。新しい選択肢があると、人生に大きな余白が生まれる気がします。