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アラサー独身女が子宮頸ガンについて真剣に悩んだから、ここに全てを残しておこうと思う。

「どうします、手術しますか?」

そんな言葉を聞く日が来ると思ってなかった。否、来て欲しくなかった。

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2019年の夏になる少し前からわたしは不正出血に悩まされていた。散々悩んで病院に行くことにし検査を受けた。数日後、電話で「子宮頸ガンの疑いがあるから大きい病院で精密検査を受けてください」と言われた。

全く予期せぬ言葉だったので、頭が一瞬真っ白になった。その時、わたしは27歳。ガンについて考えたのは、生命保険加入時の「ガン保険かぁ。どうしようかな。入っといたほうがいいんか。」くらいのもんだった。

その後の精密検査では異常なしだった。けれど、安心できなかった。わたしは自分の体に違和感をずっと覚えていたのだ。その不安はブクブクと肥大化していく。セカンドオピニオンをしてもらったほうがいいのかなと思い、さらに別の病院に行った。

産婦人科は、予約して行ったとしてもやたらと待たされる不思議な場所である。待ちくたびれたところで、診察室へ。違和感があることを切々と訴えてみた。

だけども。

「いやぁ、あなたさ。まだ若いから。そんな心配しなくて大丈夫だよ。」

大した触診も検査もせず、白髪の男性医師はさらりとそんなことを言う。正直、腹が立った。それでも餅は餅屋だと信じて高い医療費を支払った。

その後の3ヶ月定期検診でも異常はないと言われた。

「なんだ、わたしの思い過ごしだったのか。」と気を抜いてしまったのがいけなかったのか、次の3ヶ月検診にまた引っかかってしまった。もう一度精密検査が必要だと言われた。

痛くてたまらない精密検査がわたしは苦手だった。拳をぐっと握りすぎて、爪痕が手のひらに残る。

検査後の出血は一向に止まらない。ずーんと痛いのがしばらく続いた。その痛みがわたしの感情を過敏にさせたのか、家に帰ってから涙がぼろぼろと出てきた。「いやいや、この前も結局大丈夫だったし。」と自分に言い聞かせた。

2週間後、産婦人科の先生に結果を聞きに会いに行った。知らない先生だった。そして冒頭へ。

「手術をするならいつですか?」と聞くと来週や再来週でどうかと言われ、目が眩む。医療機関が逼迫していると言う今(緊急事態宣言が出ている最中だった)、そんなに急いで手術する必要があるのか。わたしは今どのフェーズに自分がいるのかがよく分からなくなってきた。

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聞けばガンになる前のもの(CIN3)があり、それらを焼き切る必要があるようだった。手術をしたほうがいいと医者から言われ、わたしはしぶしぶ頷いた。(図はがん情報サービスからお借りしました)

その後、説明が進む。
「手術をすると早産のリスクが高まります。」
淡々とそんなことを話すから、わたしは急に目の前が真っ暗になった。

一縷でいいから、希望を感じたくなった。
「あの…手術したら治るんですか?」と声を振り絞った。

先生は急に苦々しい顔をして、「再発することはあります。その場合は頸部が他の人よりすでに少し短くなっているので、子宮の全摘出の可能性もありますね。」と言った。

決壊させてたまるものかと堪えていた心のダムが限界を迎えた。私の頭の処理が追いつかない。説明の用紙も先生の顔もぼやけてしまってうまく見えなくなった。先生が慌ててわたしの肩をさする。

「脅かすつもりはなかったのよ。ごめんなさいね。」

神様がいるのなら、なんでこんなに意地悪をするんだろうと思った。

何度も何度も検査を受けたのに、毎回異常は見つからなかった。
どうして今急に見つかるんだろう。そんな急に手術なんて。
(異形成は見つかりにくいそうですが)

採血や心電図検査を受けながら、誰でもなく何かを呪うようにそう思った。

***

その昔、わたしには婚約者がいた。事情があって、その人の子どもをわたしの体に宿すと言うことは生物学的に極めて難しかった。調べれば調べるほど、それが難しいことであることがわかった。納得も理解もしていた。家族が増えるということの難しさと尊さをその時ひしひしと感じた。

それからしばらくの時が流れ、いろんな感情と決別をした。心を穏やかに保ち、のんびり生きようと思っていた矢先のことだった。

なんの因果か、また自分は子どもを身体に宿すことが人より少し難しい環境にあることになった。以前は仕方がないことだと割り切れていたけれど、今回は違う。己の女性性を真っ向から否定されているような気持ちになる。真っ黒なペンキをぶち撒けられたような情けない気持ち。

ルサンチマンが増大して、自分の中に醜い感情が溢れていく。こんな気持ちを持ちたくないのに、止まらない。

夜を迎えるたび、太っちょルサンチマンが顔を覗かせる。日中はどこか余所で忙しくしていても、夜になると誰も入れたことのないわたしの聖域にずかずかと踏み込んで心をかき乱す悪い生き物だ。

何がこんなにかなしく苦しいんだろう。定期検査を受けていたからこそ、比較的早い段階で見つかり、子宮体部は温存できるというのに。なぜかわたしは先生からの宣告を受けてから、ずっと気持ちが塞いでいた。

多分大きく分けて「3つのしんどい」があるんだと思う。

①医療機関への不信感と嫌悪
②自分の体の違和感と痛み
③女性として生きる覚悟と恐怖

①医療機関への不信感と嫌悪

わたしは入院も手術もしたことがない健康体だった。だからだろうか、医者はもっと寄り添ってくれる生き物だと勝手に思い込んでいた。現実はそんなことなかった。体と心の痛みなんぞ知るものかと言われているのか思うほど、医者たちは機械的で単調に説明をしてきた。医療機関の想像力の欠如を感じた(入院時の先生はとても優しかったので、本当に人によるんだろうけど)。

医療機関に限らずだけども、人に関わるすべての仕事において想像力は極めて重要だと思っている。

相手が今こういう気持ちを抱えているだろうから「声かけはこんなふうにしたほうがいいのかな」とか「こういう振る舞いは相手に不快感を与えるかもしれない」とか。そういうことを考えて行動できる人は、人に好かれ、信頼されるそして、結果的に評価される。

特に婦人科においては、女性性の尊厳やその女性や家族のライフプランにも大きく関わるナイーブな話が多い。だからこそ、ていねいに患者ひとりひとりと向き合って欲しいと思わずにはいられない。

②自分の体の違和感と痛み

なんかいつもと違うなあ…。そう思っても、医学的に証明されない。でも痛みはずっとある。そんな怖いことあるだろうか。半年ほど前はその不安が途轍もなかった。

診断を受けてからほどなくして、痛くて家でしゃがみ込んでしまったことが何度かある。痛みと不安がわたしの心を蝕んでいく。真っ黒い何かが侵食してくるのを感じた。

病気はどうも人を不安定にさせる。診断名がつかない時は、その違和感に不安を覚えてしかたなかった。診断を受けてからは、痛みが加速度を上げて襲いかかってきた。どちらにしてもわたしは平常時の精神状態ではなかった。

ふと抱く違和感はすごくすごく大事だ。結局、自分の勘は正しかった。わたしはこの体と28年一緒に過ごしているのだから、この体に関してだけは誰よりも詳しい。これからも、「あれ?」と思ったらすぐに動こうと思う。

③女性として生きる覚悟と恐怖

子どもを授かることができにくくなるかもしれない。そう思った時の恐怖は凄まじかった。

パートナーはいるけど二人で生きていく選択をする(もしくは一人で生きていく)というのと、子宮の手術や摘出をして授かることができにくい/できないというのは全く違う。

前者はある程度自分で選択できる。

後者には選択肢などない。受け入れるしかない。覚悟をしないといけないのだ、と思った。

そして授かったとしてもその命を守りきれないかもしれない。わたしはこれからパートナーができるたび、この説明をすることになる。想像をしてみる。辛すぎて何度も泣いた。(黙っていてもいいのかもしれないけれど、そういうことを言わないと自分が後々しんどくなってしまう面倒臭いタチなのである。)

先天的なものであれば、自分自身がそのことについて受け入れるための時間は十分あるかもしれない。でも後天的といえるわたしの場合、余白の時間が少ない。いわゆる適齢期に差し掛かっているわたしには残された時間はさほど多くない。

わたしがすでに出産しているとか、もう少し高齢になっているとか、そんな状況であればここまで悩まなかったと思う。あと、たまに子宮の近くが痛くなる以外は健康上に何の課題も抱えていなかったことも大きい気がする。

自由に動き回れる分、この事実を受け入れるのが余計に怖かった。


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手術を終えて、これを読んでくれているあなたに伝えたいこと。

今も、いろんな葛藤があります。

とはいえ、わたしは幸いにもガンになる前に異形成が見つかり、妊孕性(妊娠の可能性)を保った状態でその細胞を手術で取り除くことができました。

子宮頸ガンの検診、どうかみんな面倒くさがらずに定期的に受けてほしいです。定期検診はほとんど痛くありません。費用も社会保険に加入されていれば二年に一度は雇用先が負担してくれます。自分で払うにしても高額ではありません。(大阪市だと400円です!ワンコイン以下!牛丼プライス!!)

わたしは不正出血というサインがあったおかげで、多少の時間はかかりましたが早期発見できました。手術を決めてから、今後のことをものすごく悩み苦しみました。こんなに自分の身体と向き合うことが困難を伴うなんて思っても見ませんでした。もしこれ以上発見が遅くなってしまったら、もっとかなしく苦しい決断をしなくてはいけなくなってしまっていたと思います。

新たに子宮頸ガンにかかる人は日本で毎年10,000人いると言われています。子宮の摘出は、自分の生き方にも大きく関わってくる話なんだとわたしは今回の経験を通じて学びました。一部を切除するだけで、こんなに心細くて不安になるなんて思ってもみませんでした。ホクロやあざを取る手術とはワケが違います。

子宮(と乳房)は自分が一人の女性として生きるなかで、すごく大きな意味を持っていたことに気付きました。子どもを授かる・授からないにかかわらず、ひとりの女性として大きな尊厳がそこにあるのだと思います。

子宮頸ガンは唯一、検診で予防できるガンです。手遅れになる前に、大事な可能性を失う前に、行動を起こしてください。身体は何にも代えがたい宝物です。

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手術編はこちらです。よければご覧ください。


普段の自分ならしないことに、サポートの費用は使いたいと思います。新しい選択肢があると、人生に大きな余白が生まれる気がします。