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相手が望むこと

昨今、「人の気持ちを考える」「周りを見て行動する」など、周囲の人のことをよく考えましょう!的な言葉が、巷に飛び交っているけれど。

日本では当たり前とされる、順番やルールを守るとか、公衆の面前では静かに過ごすとか、暗黙の了解とか、そういうのはモラルであったり国民性ということかなと思います。


では、親しい人、身内、長いこと一緒に苦楽をともにしてきた人(家族、友人、同僚ほか)などに対しては、どうなんだろう?

相手の気持を察するのって、難しいと思うんです。

あからさまに、目に見える形で喜怒哀楽を出してこられたらラッキーだし対処のしようもありますが、何となくいい雰囲気、とか、なんだか元気がないなど、態度の微妙な変化というか、ちょっとしたことが気になる…けど具体的には何がその人をそう見えさせているのかは、見ただけでは分からないもので。

気になる、気になる!
そうなるとまずは会話ですよね。話しかける。

話しかけ方にも気を使ったりして…特に相手がデリケートな問題を抱えているような場合は、気をつけなきゃって思います。

あ、個人の意見ですよ♪
ここまで書いておいてなんですが(^_^;)

私の場合は、ズバッと切り込めないので気を使います。
けどその気遣いが無駄になることだってあるわけで。


相手の気持なんて、自分ではないのだから分からなくて当たり前なんです。
知りたければ、(気持ち悪がられない程度に)よく観察したり、普段から挨拶程度でもガンガンにでもとにかく話しかけたり。
あとは、ぶっちゃけその人の気持ちを聞いちゃう!まぁこれは時と場合によりますけどね。


見てるだけ
話しかけるだけ

のどちらかだけでは、その人の気持ちを理解するなんて不可能だと私は思ってます。

ひたすら見てるだけならただのストーカーと同じだし、

話しかけるだけだと冷たいなぁと思われがちだし。


見たり、聞いたり、あるいは
許されるなら触れたり。背中をさするとか、握手とか、単なるハンドタッチなども触覚です。


ありとあらゆる、なんて言うと大げさだけれど、多方面からアプローチしてみることは、相手を知る重要なプロセス。

それらをやらずして「相手の望むことをしてあげたい」なんて思うのは傲慢だし、自己満足でしかない。
そもそもその考え自体も押し付けがましいく、余計な口出し大きなお世話である場合が多いかもしれません。


まずはお互いに目を見て話すくらいのコミュニケーションは、とっておきたいものです。


挨拶だけでわかりあえる、ほどの関係なんて、一卵性双生児同士とか、反抗期のこどもとその親、くらいなんじゃないかしら?(苦笑)


偏見、失礼しましたm(_ _)m


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