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自身の人生の否定に値する

おはようございます。気持ちのよい朝で小鳥は囀り行き交う車の音の合間に様々な世代のこどもの声がしています。

義務教育の公立学校が近くにあり、我が家は通学路に面しています。
最近、下校時に我が家の近くに教師が立っていることが多くなりました。我が子が通っているときも数回はありましたがこんなに頻繁に立っている=注意していることはありませんでした。こどもたちの登下校の仕方に特に問題は感じない…わたし個人としては、むしろ子供の数は減り今のこどもの方がルールをきちんと守り静かに列をなして歩いていくように感じられます。

ある日立っている教師に聞いたところ、道路に広がって歩いたりうるさくしていたりする子がいる、とたびたび「通報」があるのだそうです。

この道は路線バスが通ります。車も朝夕は交通量が多く、その時間帯は登下校時間にも重なります。工事車両が抜け道として使っているなと思うときもあり、それなりの交通量ですが制限速度は30km/h。
横断歩道は多々あり、自家用車がすれ違えないくらい細いところもある(そのあたりではバスは無理に進まず待っていたりします)。スクールゾーンだし、日中は車の量はさほど多くなく静かな住宅街なのでこの環境を私は意外と気に入ってます。


こどもたちの登下校についてどこの誰が「通報」しているかは分かりませんが、明らかに大人でしょう。

最近気になるのは、

大人の皆さんも必ず経験してきたこと、それがこども時代なのですが、ルールを守り空気を読み静かに登下校した方たちがほとんど…なのでしょうか??

私自身はそんなにおとなしくマジメな少女ではなかった─いやむしろお転婆でおしゃべりでした─ので、今のこどもたちよりうるさくて落ち着きない子だったんじゃないかなと少々恥ずかしくなります。
ですが、だからこそ今こどもである彼らのことを愛おしく思い見守ることができるし、むしろいい子過ぎるのでは?と思うほどで、時々見かけるやんちゃな子などは微笑ましく感じるんですね。

こどもがうるさいとか、予測不能な動きをするとか、友達との話に夢中で周りが見えなくなってたりとかは、わたし個人は「アタリマエ」なんです。それらがときに危険を招くこともありますから注意も必要でしょう、ならばそなときにその場で注意すればよい、いやむしろその場で注意しないと意味はないと思うのです。

それをせずに学校へ通報する大人の意図がしれません。

以前学校の校外委員をしたときに「注意するのが怖い」と言っていた大人がいましたが(地域の年配の方、同意された方々も人生の先輩年齢です)、義務教育中のこどもたちは歯向かうどころか他人の大人たちの話は素直に聞いてるもんだけどな、と少しモヤッとしました。
こどもたちに対し、健やかな成長を見守るなど大人ができることをするのが正しいやり方なのではないでしょうか。
よほど危ないことをしていたらその場で注意や指摘をしたらよいし、登下校時に車は通学路をゆっくり走行すればいいのです。
安全な街づくりに力を入れることも大切ですよね。


こどもの態度を「通報」する前に、できることやりませんか?


また、

こどもたちの態度にイライラしてしまう人は、病気ではないか

と私は思うのです。
だって、

あなたが昔おくってきたこども時代を否定することになるのですよ?違いますか?

強い言い方をしますが、こどもがうるさいとか言うことを聞かないとか感じる人は、自身の否定に値すると思ってます。
受診して然るべき。家庭環境が厳しかったから、などと言うのはただの言い訳です。


未来あるこどもたちの可能性を、社会全体で守っていきたいと強く願い、今日も温かい目でこどもたちを見守ります。


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