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徒然

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観劇の感想、つぶやき、つらつらと思うことなど
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#エッセイ

いまさら、いまなお

サブレーとは、フランス語で「砂」という意味があり、そのサクサクと崩れる食感に由来するとか。 日本語で「砂を噛むような」と言えば、味気なさに情けなさも加味されて、決して良い意味では用いられない。 砂にも美味しい砂とそうでない砂がある。 ちなみにSugar、砂糖の語源も砂であるとかなんとかどこかでちらっと見たような気もする。砂漠の砂がすべて砂糖だったら、吸湿効果でさらに空気が乾燥するんだろうか。そんでさらに気温上昇、やがて溶け始め、シロップになりカラメルになり……その辺でやめとけ

やむやまぬ

たいへんな世の中にどっぷり浸かって、自分もたいへんな気がしてしまっていた。 いやまあ、みんなそれぞれにたいへんなのは間違いない。 ただ、わたしは昔から「わたしなんてたまたま人の姿になっただけの塵芥」と自分を物理的に卑下する癖がなかなか抜けないので、結構な状況になるまで自分がたいへんだということを実感できない。 ほら、たまにネット上に流れてくる、一本の矢で倒れ込んでいる人を何本も矢が刺さった人が介抱している図、あれね。 そういうことで、しばらく何も書けない状態が続いていて、書こ

父を、見殺しにした話

正直、投稿するか悩みました。 こんなことまで書いてしまうのか。 こんなもの誰が読むんだ。 うっかり読んでしまった誰かに不愉快な思いをさせるだけじゃないのか。 でも、こういう現実が、人生が、ほんとうにある。 こんなものを、わたしは書かずにいられない。 知りたくない人は読まない方がいいでしょう。 わたしは、これをおのれに刻み込んで、死ぬまで生き続けます。 2020年夏、ある役所から手紙が届いた。 今わたしが住んでいる自治体からではなかった。 すぐには開封しなかった。 いつも通り

『赤鬼』をみた

ヨガばかりしている間に、すっかり情報社会から遠ざかり、そもそもこのコロナ禍でどうせ(怒)演劇なんて(泣)やってないし(哀)、と油断していたら、そろりそろりと各劇場が再開しており、東京芸術劇場の再始動として芸術監督の野田秀樹氏作・演出で東京演劇道場の道場生による『赤鬼』が上演されることを知ったのは公演直前だった。 …マ・ジ・カ・ヨ……もうチケットなんて、ハハッ無理っすよね…と、やさぐれつつ探りを入れたら、なんと追加公演分がまだ残っていた!またこういうところで運を使ってしまうわた

しん/たい

いい子で自粛していた間に、ヨガにはまった。 わたしの偏ったお楽しみの数々が、すべてコロナによって封じられ、やさぐれながらYouTubeばかり見ていたここ数ヶ月。 世界中の劇場が新旧硬軟とりまぜたさまざまな作品の動画を公開してくれて、それはそれで意外と悪くない、どころか見逃していたものや現地に行かねば見られなかったものなんかもアップされて、むしろ追い付かないくらいだった。まさしく不幸中の幸い。 しかし、動かない生活というのは身体を錆びつかせる。特にスポーツなどもしておらず、ただ

『個について』について

もう言うまでもない、できれば言いたくもない、昨今の状況である。 通り魔事件などの容疑者が動機として「むしゃくしゃして」と言う、今までなんじゃそりゃ?と思っていたが、今はわかる。まさに今多くの人が、いや少なくともわたしは「むしゃくしゃして」いる。だからといって「誰でもよかった」とか言いつつ、自分より弱いものだけを器用に選り出して傷つけようとかは一切思わないが。 「村八分」「自警団」「隣組」「誹謗中傷のビラ」「同調圧力」…… 今って、2020年だよな。ほんとうだろうか。 日本って

寂しくて悲しい・その2

※愚痴です。グダグダです。が、誰も何も責めてはいません。が、ちゃんとしてる人は読まない方がいいかも。 言うまでもない昨今の状況である。 わたしは演劇が好きで、心身を削る日々の労働の対価として受け取る報酬の一部を月に数本の観劇に費やしている、そうして精神の栄養を得ている。 言うまでもない昨今の状況により、わたしの精神の栄養源である演劇の公演中止・延期が相次いでいる。 どうすることもできない。それぞれの団体が下した中止・延期の判断を、わたしは尊重こそすれ糾弾することなどできない

『リーマン・トリロジー』をみた

天下のナショナルシアターライブ、今までもいくつか観ていて、ほぼハズレがないのだが、今回は格別にイイ!という評判しか聞こえてこなかった本作。気になりつつも諸々忙しくもう無理かなと思っていたのだが、俳優をやっている友人がお勧めしてくれたので、それならばと終映直前に駆け込んだ。結果、行ってほんっっとーに良かったです。ありがとう友よ。 あのリーマンショックのリーマン家の話。わたしは一族の盛衰記みたいなものがそもそも好きで、我が人生における最高傑作の座はガルシア=マルケス『百年の孤独』

刻むということ

3年前の1月に、乳がんの手術をした。 一般健診のついでに受けたマンモグラフィーで、左右の乳房に石灰化が見られたため要精密検査となり、専門の病院を受診したところ、ごく初期の乳がんであることがわかった。 誤解がないように言っておくと、石灰化があるからといって必ずしもがん、というわけではない。わたしの場合は、左右ともに石灰化があったのだが、左側のみ「凝集性」?正確な用語は忘れたけれど、なんだか寄り集まってる感じよ、という状態で、それがちょっと気になると検査したらがんが見つかった、と

2020年観劇はじめ

<script type="text/javascript" src="http://stage.corich.jp/stage/105423/embed.js"></script> うまく貼れたかしら。 今年はこちらで観劇はじめといたします。ちょっとした繋がりがあって、頼まれたわけじゃないけれど、宣言ついでに宣伝を。 とてもそそられます。年の初めに、人類最初の女性のお話というのも乙なものではないでしょうか。

今年からだった

今日は大晦日。我が家は、特別なことをしなくなって久しい。 2人家族の年越しなんてそんなもんさ。男子高校生と2人きりで今さら何をしろと言うのだ。奴はスマホに目も耳も心も奪われたまま、早々に年越し蕎麦を食べ終えて、夜中には友達と初詣に行くのだ。早々に子離れが完了したわたしはわたしで、いつもよりアルコール度数高めのレモンサワーですっかり出来上がっている。 自分が子どもの頃は、親たちが必死になって掃除をし買い出しをしご馳走を作り紅白を見て初詣に行っていた。年越しとはそういうものだとい

『象は静かに座っている』をみた

@川崎市アートセンター。初めて訪れた。立派な建物、小劇場と映像館とがある。寡聞にして知らなかった。 日頃、住んでいる区内からほとんど出ない。それで仕事も生活も娯楽もだいたい間に合ってしまうからなのだが、30分程度でも電車に乗れば、意外と広い世界があるのだった。 今回この作品を観ようと思った最大の理由は、作家の平野啓一郎さんがFacebookで詩人の田原(ティエン・ユアン)さんのコメントを紹介されていたから。「普通の映画との最大の違いは、詩人の想像力、詩人の言葉、詩人の視線、詩

DULL-COLORED POP『マクベス』をみた

DULL-COLORED POP『マクベス』@KAAT神奈川芸術劇場、初日を観てきた。 主宰の谷賢一さんがTwitterで「初日!初日空いてる!初日に来て欲しい!」と頻りにツイートしていたので、そんなに言うなら、と。 前回『福島三部作』で初めてダルカラさんを観て、そのピュアさ・ひたむきさに感銘を受けると同時に、若干の居心地の悪さも感じていたひねくれもののわたしだが、あの熱い福島の後にシェイクスピア、その振り幅にも興味がわいた。結果、まんまと口車に乗って正解。面白かった! ※以

寂しくて悲しい

いつもならそういう時に詩が出来たり短歌が出来たりする。そう、私小説ならぬ私詩、私短歌というわけ。じゃ「公」小説なんてものがあるのか?完全なフィクション、という意味だとしても、何かを作り出す人とその作品がその人の個人的体験や感情からまったくかけ離れているなんてことはあり得ない話だ。で、今回はどうして詩も短歌も出来ないのか、というと、それは寂しさと悲しさの度合いがあんまりにもあんまりだから、という至って単純な理由なのだった。 noteユーザー諸氏の主な年齢層がどの程度なのか知らな