見出し画像

Moon sick Ep.18

研修期間は、3年ほどだった。
最初は、大学のような研修機関に通って講義を受けた。講義と言っても、普通の常識では理解しがたい内容ばかりで、それが3年にも及ぶのだから、研修期間で辞めていく同僚も1人や2人では無かった。

「これ、ちょっとヤバくない? 」
「あれマジで言ってんの?」
「イカれてるよ!」
「やってられない!」

それなりの倍率で入った機関のはずなのに、優秀な彼らは、そう言い残して、次々と辞めていった。彼らには、耐えられなかったのだ。受け入れ難い話を延々と聞かされる日々に……。

そうした同期が多く占める中で、僕はわりかし抵抗無くすんなりと講義の内容を受け止められた。それは、幼い頃から、すぐ近くで見てきた姉の影響が大きいかもしれない。講義を受ける中で、僕ははっきりと認識するようになった。僕の姉はまぎれもなく月人だったのだと……。

満月の日とそうじゃない時の言動と行動が異なる点……。話し方も大きく変わる。ふだんは、どちらかと言えばふんわりとした癒やし系の話し方をしているくせに、満月になると自信ありげな物言いに変わる。ふだんは、ニコニコしている表情も、少しキツイ冷めた目つきに変わる。そして、口にする発言も、顕著に変わっていくのだ。

あれを見たことのない人間には、にわかには、信じられないのだろう。人は月で変わるのだ。いや、変えられると言ってもいいのかもしれない。

「人は月の満ち欠けに影響を受けやすく、特に満月の晩になると凶暴性が増し、犯罪や事故が起こりやすくなるというのは、よく聞く話だし、あながち全く関係ないとは言えないとは感じてはいるものの、学説としては、再現性が低く、未だに認められていないのだ。」と入って1日目の講義で語られた話だ。

「再現性?」

「そう!学説として認められるには、統計データと検証を繰り返して、再現させなくてはいけないのですよ」

「満月の晩に、凶暴性が大きく変わるのは、月の記憶が蘇る月人だけなのです。
それ以外の人間では、検証しようとしたって、再現できるはずがないのですよ」

要約すると、月人と呼ばれる月の記憶が蘇る人間を監視検証していくことで、新たなデータを何年にも、渡って調査し続けている機関らしかった。

この国は、元々、他国に比べて著しく月人の出現率が多かった。理由はわからない。ただ、昔から多くいた。外国とのつき合いの関係で、今でこそ太陽暦で生活しているが、本来、この国の人間は、ずっと月の満ち欠けで作られた太陰暦で生活してきた人間ばかりだったのだ。

そうしたことも相まってか、この国に月人の研究機関が成り立った歴史は、予想よりもずっと古かった。昭和初期の頃には、もう存在していたらしい。その割に、一般人には、あまり認知されていない機関なのも、同僚の反応を見れば納得せざるを得なかった。

彼らは、ここが、月移住計画の為の準備を担う機関だと聞いて就職を希望して来たらしかった。それも大きな目で見れば間違いじゃないのだが、それよりももっと最重要事項として取り組んでいるのが、月人についての研究なのだったことを、彼らは、ここに来て初めて知らされたのだ。

他国は、いまや、「月に移住しよう」とか「月を拠点にして火星へ移住しよう」だとかをスローガンに、宇宙開発に力を入れている。人類の未来へ向けて最先端の足がかりとなる場所で働けるのだと入ってきたのだろう。

もちろん間違ってはいないのだが、最優先事項が異なっていたのだ。

月人の多く出現率の高いはずのこの国が、月への移住計画へ二の足を踏んでいる1番の原因が、この月人の存在にあった。この満月の日に著しく変化する人間たちの存在を無視したまま、果たして、常に月の影響を受け続けることになる月へ移住して、果たして本当に何も問題ないのかどうなのか?という点だ。

再現性の低い学説なのだから問題無いと言ってしまえばそれまでなのだが‥…。問題というものは起こってしまってからでは遅いのだ。想定できるマイナス要素は、ことごとく叩いて置くに越したことはない!というのが、この研究機関が最初に設立された理由だった。

もちろん、これは最初の理由であって、今でも純粋にそうなのかはちょっと疑わしいところだ。実際、移住計画の話が、機関内で研究者や同僚との会話で上がることは皆無と言っていいくらいだったから……。

話をそろそろ戻そう……。

正直、僕が、ここで働こうと思ったのは、高校の時、通っていた精神科の先生に紹介されたのがきっかけだった。

誰にも理解されなかった姉の奇行や言動を、唯一理解してくれた人の紹介だ。藁にもすがる思いとは、こういうことを言うのだと思ったのを、今でもはっきりと思い出す。正直、この機関のことを紹介された時、僕は、誰にも理解してもらえないと思っていた孤独の中にいた。

その頃には僕の目から見ても、姉は、とっくに犯罪者と言ってもいいところまで来ていたし、何よりも問題だったのは、満月の日に話したこと、ひき起こしたことを、それ以外の日の姉は、全くと言っていいほど覚えてないことだった。

満月の晩。
それを見て、それを聞かされている僕。
何も覚えていない姉。
ずっと、僕は、孤独の中にいた。

だから、僕は、あの精神科医に救われたのだと言っても過言ではないと思っていた。

そして実は、あの精神科の医者も、この機関に所属していた一員だったというのは、ここで働き始めるようになってから聞いた話だった。そうして、この国には、他の業種にまぎれながら、情報を収集する職員もいるらしかった。

だから、僕は、同期が次々と辞めていったとしても、あの頃よりもずっと孤独ではなかったのだ。

例えるなら、ようやく自分の居場所を与えられたような感覚だった。

【御礼】ありがとうございます♥