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Moon Sick Ep.15

「つまり…それはどういうことなんですか?」
「あそこから来ている人がいるのかもしれないということですね」
顧問は、そう言って、天を指差した。

「でも、そんな話聞いたことありません」
「そうですか?割と頻繁にあることなんですが…」
そう言って、顧問は少し意外そうな顔をした。
「頻繁に?」
今度は、声が、少し震えていたかもしれない。

「もしそういう人たちがいるんだとしたら、何故、全く噂が、立たないんですか?」
「おや、噂が立たないことは信じられませんか?」
からかうような物言いをする顧問に、俺はイライラし始めていた。
「そういう意味じゃなくて!」
「じゃあ、どういう意味です?」
「そんな人が実際いたら、すぐ噂になるはずでしょう!」
「ところが、そんな噂は聞いたことが無いから、信じられない!とこういうわけですか?」
「そうですよ」
「でも、世の中には、そういうことは溢れていると思うんですがね…」

『本当に、この男は、いつもの顧問なのだろうか?』そう思ってしまうほどに、顧問は、おかしそうに話し続ける。


「なぜ噂が立たないのかって?簡単なことです。今、この国でそんなことを言ったら、頭がいかれてるやつだと思われてしまうのがオチですからね。」
何度言っても信じて貰えなかった日々が、頭をよぎる。

「じゃあ、どうして?」
小さくつぶやいていた。
「はい?」
「じゃあ、どうして先生は、そんな話を俺にしたんですか?俺が、先生の話を信じるとは限りませんよね?むしろ、先生のことを頭のおかしな教師だと言いふらすかもしれませんよ!」
「わかりませんか?」
そう言うと、顧問は、首元を掴んで顔をぐっと近付けてきた。 

「聞いたことないとがないと言う人たちは、選別に入っていない人間です」
顧問が耳元で、ささやくようにつぶやいた。

「選別?」
「ええ、選別に漏れた人たちです。だから、何も知らされていない」
「何の話ですか?」
「知っている人は知っているのに、知らない人は、何も知らされていないということが、この世の中にはあるんですよ」
「だから、何の話ですか?」
「ノアの方舟ですよ」
「ノアの方舟?」
「同じようなことが、これから行われようとしていると言ったらどうしますか?」
「だから、何で…」
「選別に選ばれた人間は、選ばれなかった人間には黙っているに決まってるじゃないですか?」

首元に添えられたままだった手に、わずかだが力が入るのがわかった。少し息が詰まる。

「選別された人間にとって、月の住人たちが語る月の話は非常に貴重なんです。特に月での暮らしについては、喉から手が出るほどに知りたい情報ですからね。ところが、彼らが、月での記憶を思い出すのは、満月の晩だけなのです。満月は、月からの引力が一番強く働きますからね。思い出しやすくなるようです。最も、満月じゃない時期には、何も覚えてないこともあるようですがね…」
姉が、両親に『そんなことは言った覚えはない』と言っていた理由を聞いたような気がした。

顧問は、俺の首元を掴んでいた手から力を抜いた後、
「それに、君が、誰にも話さないことは確認済みです」
と言って、そっと手を離した。

思わず座り込んで、軽く咳き込む俺を、顧問が黙って見下ろしている。
「先生は、一体?」
見上げると、顧問は、うっすらと笑っているようだった。

「僕のことが知りたいですか?」
俺は座り込んだまま、しばらく黙っていた。
すると、顧問が手を差し出してきた。
差し出された手を掴むことを、躊躇していると、腕を掴まれて、力まかせに引っ張り上げられた。

細い見た目のくせに、意外と力が強い顧問に、驚いていると、ふいに顧問がふきだした。
「すみません、ふざけ過ぎました」
顧問は笑いながら謝ってくる。
『全然悪いと思ってないだろう?』と思っていた俺に、顧問は、椅子に座るように、笑いながら手で促してきた。憮然とした顔で、勧められた椅子に座ると、顧問は、もう一度、「すみません」と謝った。

そして、話し始めたのだった。

「僕は、教師になる前に、そういうところに勤めていたことがあるんですよ」
「そういうところって?」
「辞めたとはいえ、一応守秘義務があるんで、あまり詳しいことは言えませんが、月のことを調べる機関とでも思って頂ければいいかと…」
「そんな機関があるんですか?」
「うん、まあ、色々ありますよね…」
少し含んだような物言いが、気になるところではあったが、先ずは、最初から、ずっと気になっていることから尋ねてみることにした。


「なぜ、俺に?」
「こんな話をするのかって?」
「はい…」
「君は昔、病院でカウンセリングを受けていたことがあったでしょう?」 
それは、誰も知らないはずだ。
「あれは、確か、君が小学生の時くらいでしたか…?」
「なぜ、それを?」
「いえね…あの時、報告を受けたのは、僕のいた部署だったもんですから…」
「僕のいた部署って、どういうことですか?」
「混乱させてしまったならすみません。ただ、僕が君に言いたかったのは、そういう人間は、君が考えているよりも実は多くいるということなんです」
「そういう人間って…」
「もう、おわかりでしょう?月の住人たちのことですよ」

この顧問は何を言っているんだろうと考えていた。
考えている内に、周りの景色が、ぐらりと揺れるような錯覚に襲われ、上体がぐらりとよろめいた。ハッとした時には、椅子から落ちそうになっていた俺を、顧問が支えていた。そして、顧問は、自らも、椅子を傍に寄せて腰掛けると、それでも、尚、話を続けるのだった。

「彼らが言うには、この国は比較的紛れ込みやすいらしいんです」

「だから、他国に比べて、昔から月の住人が多くいるようです」

「ほらっ、あの授業で話した『月が綺麗ですね』は、月の住人だった者たちの隠語だと言ってもいい!あのせりふは、彼らには別の意味を持つんですよ」

フェイクなのか冗談なのか、それとも本気なのか…。ふだんから変化の少ない顧問の表情からは、うまく読み取れそうもなかった。

いや、というよりは、どんどんひどくなってくるめまいに、俺は、椅子の上で身体を支えるのさえもきつくなっていた。

『報告?なぜ、いまさら、そんなことを聞かされるのか?』

『じゃあ、なぜ、あの時に、医者は、俺の言う事を否定したのか?』

『選別?』

『そもそも、誰が誰を選別するんだ?』

理解が、全く追いつきそうもなかった。

景色が、ふいに反転したと思ったと同時に、俺は、そのまま、椅子から崩れ落ちたのだった。

【御礼】ありがとうございます♥