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Moon Sick Ep.3

姉は、いつもこんな風に、2人でいるときだけ、おかしなことを投げ掛けてくるのだ。

さんざん姉の虚言癖に振り回されて育ってきたきた俺は、「またか…」と思いながらも、姉を振り返ってしまったことを、すぐに後悔していた。

「月の何を教えるって?」
おかしくてたまらないといった表情を浮かべた後、姉は言った。
「そんなのヒ・ミ・ツに決まってるわ」

まただ…。教えるって言ったり秘密だと言ったり、からかっているのか?

俺は、黙ったまま姉から視線を外すと、ペダルに乗せた足に力を込めて走り出した。

あれは、今にして思うと、月の秘密を教えると言っていたのではなかったのか?
月の秘密をなぜ俺に?
なぜ、いつも俺にだけ?

そこまで考えたところで、俺は、ベランダで覗いていた天体望遠鏡から顔を離すと、頭を振った。

昔からそうなのだ。考えすぎると、姉の虚言癖をうっかりと信じてしまいそうになるのだ。

一度家族が揃っている場所で、月に暮らしていたという姉の話を両親に話したことがあった。もちろん、両親は驚いた顔をして、姉を見た。ところが、姉は、更に驚いた顔をして、俺の方を見ていた。

「何のこと?そんなこと言ってないわ!」
「確かに言ったよ!」
「私は言ってないったら!」

怯えた表情をする姉に驚く俺を、父親が諌めた。何よりも驚いたのは、俺の言うことを誰も信じず、姉の言うことの方を信じたということだった。その後も、何度となく、そんなやりとりがあったあと、俺は、地元から離れた場所にある大きな病院に連れて行かれた。

医者は、優しい話し方をする若い医者だった。俺の話を、否定することなく頷きながら聞いてくれた。俺は、ようやく理解してくれる人を見つけたような気さえしていた。だが、その拠り所は、瞬く間に打ち砕かれた。

医者が、母親に、
「おそらく、カプグラ症候群かもしれませんね」
と言っていたのが聞こえてしまったのだ。ネットで調べると、カプグラ症候群は、すぐに出てきた。別名、カプグラの妄想と、呼ばれる病の一種で、家族を、よく似た他人だと思いこんでしまう病気のことらしい。

病気?カプグラの妄想?
じゃあ、あの姉も妄想だったというのか?
姉と同じ顔をした別人がいるってことか?
時々、入れ代わっているとでもいうのか?

俺は、医者のことを一瞬でも自分の味方だとばかり思い込んでいたことを恥じ、俺は部屋に閉じこもりがちになっていった。誰も、部屋の中に入ることを許さなかった。そうしないと自分がおかしいのだという周囲の考えが、自分までも浸食しそうな気がして怖かったのだ。

それからしばらくして、高校に入学する直前までの間、俺は田舎の祖父母の元で暮らすことになったのだった。

だから、ひさしぶりに、2人でいる時に、姉から声を掛けられて、俺が思わず振り返ってしまったのもしょうがないのだ。

姉は、またもおかしなことを口にしてくる。
俺の病は、まだ治ってないのか?

それとも…

治ってないのは、姉の方なのか?



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