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Moon sick Ep.21

一緒に暮らすようになってわかったことだか、僕らの母親は、会社で管理職についているらしく、出張で家を開けることや、深夜に帰宅することが多い人だった。

その日も、急な休日出勤をしなければならなくなったとかで、バタバタと出掛けるのを、玄関先で見送ろうとしていた時、ドアを開け放ったところで、急に振り返ってきた母親が、その場に、そぐわない言葉を口にした。

「そういえば、今日は満月だったわね」
「そうなの?」
 あまり、月の満ち欠けには興味はなかった僕は、それがどうかした?というニュアンスで返した。

「……その様子じゃ、あなた父さんから何も聞いてないのね?」
「……何のこと?」
「頃合いを見て、話しててねって言ってたのに!」
「だから、何の話さ?」
「そういえば、あの人忘れっぽい人だったわね…」
そう言って、母親がため息をつくのを目にしていると、胸がチクチクしてきた。

「そういうのやめてくれないかな」
僕は声を荒らげないように気をつけながら、母親に向かって、努めて静かにそう言った。

「えっ?」
たぶん、この家で暮らすようになって初めて聞くような低く冷たい声なのが、自分でもわかった。
「父さんが言わなかったのは、僕らには必要ないことだって思ったからじゃないかな」
「必要ないことだって言うの!家族なのに?」
「何の話なのか、よくわからないけど、たぶん父さんが言わなかったのには、それなりの理由があってのことじゃないかな」
「何が言いたいの?」
「たぶんだけど、父さんは、あえて言わなくても、僕らの生活には支障がないことだって思ったんじゃ……」

そんなことはなかった。実際は、支障だらけだった。それでも、必死で、なんとか2人で生きて来たのを、遠い場所で暮らしていた母親に、口を出して欲しいものではなかった。

ふいに母親の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。驚く僕の目の前で、涙は後から後から留まることなくこぼれ落ちてくる。

「母さん?」

恐る恐る声を掛けると、ハッとした顔をして、自分の頬を伝う涙に初めて気づいたような表情を浮かべた後、慌てて手の甲で涙を拭った。

「この話は、また帰ってきてからゆっくりしましょう」

母親はそう言うと、バックに手を伸ばす。そうしてバックから鍵を取り出すと、僕に渡してこう言った。

「これは、居間の引き出しの鍵。開けると中に薬が入ってるの」
「薬?」
「そう!睡眠薬。寝る前に、コレを飲むように言ってくれない?」姉に?ということだろうか?
「睡眠薬って、何で?」 
「深く眠れるように…」
「それはそうなんだろうけど……何で睡眠薬?」
「今夜は満月だから」
母親は、涙を拭いてから、一度たりとも目を逸らそうとしない。僕を見つめる視線からは、ただならぬものを感じた。
「どういうこと?」
「気がついたら朝になっているくらい眠って欲しいのよ」
「何言ってるの?」
「そうよね、ずっと何も知らなかったのなら、こんなこと急に言われても意味がわからないわよね?でも、あなたは、これからは、ここで一緒に暮らしていく訳だから、知っておいて欲しいのよ」
「母さん?」
「帰ったら、わかりやすくきちんと説明させて…とりあえず、今日は、その薬をあの子に飲ませて欲しいの…」
「もし嫌がったら?」
「嫌がっても……なんとかして飲ませて!」
「なんとかしてって?」
「食事に入れるとか…」
「そんなこと出来ないよ!」
「それじゃあ、あの子は外に出かけてしまうわ」
「外に?何で?」
「あの子は、こんな満月の晩になると、外に出掛けたがるの」

今にして思えば、それが、これから語るこの長い物語の1番最初の始まりだった。

【御礼】ありがとうございます♥